京都の電車内で「四塩化一黄酸」リュックを目撃し大騒ぎ、化学者呆然!
「そんなことなら、私も『ジハイドロゲン モノオキサイド』『カーボンダイオキサイド』とプリントしたバッグでも持ち歩いて、街に繰り出してみましょうかね。(笑)」そのように、市民に最も近い化学者を目指す、オカヤマンヘンな鮒はユーモアたっぷりに語ります。「大丈夫!ただの炭酸水ですから!何か文句でも?(笑)」
JR京都駅に到着した電車の車内で、手書きで「四塩化一黄酸」と書かれたリュックが不審物ととして見つかり、安全確認のために、在来線や新幹線のダイヤにも乱れが出たという、笑うに笑えないマスコミ報道に、化学者は呆れて空いた口が塞がりません。このニュースは、民放の朝の情報バラエティ番組で取り上げられ、著名人のコメンテーターが持論を述べたりしています。その持論も、「私は化学は無知ですよ」という知性をさらけ出すだけ、それに靡く視聴者もいかがなものかと、日本のマスコミも俗論も、化学に対するネガティブ・メッセージを含めているのではないかと、強い懸念を示します。事実として、私、オカヤマンヘンな鮒も、近江商人の心得十訓に忠実な化学のものづくり一筋を貫いていて、それで食い扶持を奪い取られ、業態転換での社会起業を余儀なくされた苦い経験がありますから、あまり表に出していうことはしませんが、実は、ケミカル・フーリズムに対しては、一化学者として語り尽くせないほどの深い恨みがあるのです。これが本音であり、今回の京都での騒動は、そんなケミカル・フーリズムの社会病理をあぶり出したことになったわけです。
誰が悪いわけでもない、ほんとうに悪いのは「ケミカル・フーリズム」を受け入れる社会
「今回の京都での騒動、化学をガチで学んだことがない人が、適当なデマカセを言ったりして、情報が錯綜していますが、誰が悪いというわけではないのです。だから、悪気があるかどうかを問うのも愚問であり、結局は、そのような感情的デマカセで騒ぎ立てる低俗な社会こそ、なにより罪深いのです。」
そもそも、「四塩化一黄酸」という化学物質は実在しませんし、化学を少しかじって、有害化学物質の批判に関して、自分にとって都合がよさそうな情報ばかりを拙いウェブ検索やSNSのAIキュレーション機能で収集して、知った気になっているだけ、化学がわからないくせに知ったかぶりをして騒いでいるだけなのです。なんて愚かな世の中なのでしょう。
化学物質に関して無闇矢鱈に「わかりやすい情報」を求める市民はもはやモンスタークレーマーというべきです。横文字で表記せざるを得ない化学物質名を出しただけで、「専門用語だ」とか、「難しいこと言うな!」と、化学屋を敵に回す人っていますよね。それ、何なのでしょうか。確かに、平易な表現ができるにもかかわらず、わざと難しい言い回しをするというのであれば、問題だといわれても仕方がないかもしれませんが、化学とは何かがわからないままで、自学自習で歩み寄る努力をしないままで、一方的に化学屋を攻撃するというのは、あまりにもアンフェアと言わざるを得ないのではないでしょうか。今回の京都での騒動で、そのようなことがフラッシュバックしてきました。
いまこそ、化学必修化の議論を!
化学者・化学専門家という属性は、高知性者差別の槍玉(被差別者)に挙がっていることは、著者の私が生き証人になっています。高知性者のなかでも、とくに化学者や化学専門家に対する理不尽な風当たりは、異常というほどひどいものがあることは、世間では意外と知られていません。化学物質を使うべきか使わざるべきか、端的に結論を言うなら、私はむしろ、化学をきちんと理解したうえで、賢く積極的に利用すべきだと言い切ります。もちろん、無駄づかいや乱用は許されないことです。本来、化学物質は、利用されるために作り出されるものです。そうである以上、化学物質は利用するのが前提としてあり、問題となるのは、乱用などがされたときのリスクなどです。例えば、私も、能勢・ぎんぶなのうえんでは、硫安や硫酸カリなどの化学肥料は欠かさずに使用していますし、むしろ、それらを適正に使ったほうが、作物にも、それを利用する人間にも、周りの環境中の生物にも、すべてにとってよくなるのです。もういい加減に、「化学だからダメ」という愚かな決めつけはやめていただきたいです。そのためにも、小学校からの化学必修化は、真剣に考えていただきたいと、切に願います。そうでなければ、冗談抜きで、日本はダメになっていきます。なぜなら、今日、あたりまえのように物質的に豊かな暮らしができるのは、化学が築いた礎の上に立っているから。その礎が崩壊すれば、生きていける保証すらないことを意味するわけです。
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