自然科学と人間性

自然科学への向き合い方でわかる人間性

現実に向き合い、求める解が得られるまで何度も試行錯誤を繰り返す、それが、自然科学に共通したプロセスです。そのようなプロセスを繰り返すことにより、現実にしっかりと向き合い、諦めない力や我慢強さ、ブレない力といったレジリエンス(可撓性)が鍛えられます。逆をいえば、自然科学分野が苦手な人、例えば、コンピュータの活用や化学に苦手意識を持つ人には、スピリチュアルやニセ科学、マルチ商法に逃避したり、困難にぶち当たるとすぐに諦めたりする人が多いことが、私の対人折衝経験からもわかっています。また、理系分野が苦手だったことを理由にして、文系を選択したような経験があり、社会人になってもいまだに理系に対する消極的なコンプレックスを持っているような人にも、レジリエンスレベルが低い人が多いです。残念ながら、このような人は、一生涯、社会起業家とは無縁の人生を送ることになるでしょう。

社会起業には、雇われの仕事のような甘さはなく、基本的に自主自立の精神で望みますから、社会起業を志す人には、高いレジリエンスが必要です。社会起業家は、答えを自ら見つけ、その答えを強く信じ抜き、また次の答えを見つけるといったことの繰り返しです。しかも、営利の追求よりも公益の追求を重視し、誰かのためになれるのなら、自身がたいへんな思いをしてもよいという無欲さや富の共有の志向が求められます。

自然科学は哲学そのものである

哲学とは、文系の学問と思われがちですが、必ずしもそうではありません。数学の解を求める過程からも、化学現象を熟考することからも、哲学的な気づきが得られます。なぜなら、自然科学そのものが哲学だからです。博士の学位で哲学博士号(Ph. D.)がありますが、自然科学系の専門分野であっても、Ph. D.の取得対象となることも、そういうことを意味しているのです。言いかえれば、記憶で済むような自然科学は、自然科学の学び方としては間違ったものであり、そのような教育がまかり通っているという現状も、公立学校での教育の問題の根幹をなしているといえます。そのような教育を受けている人が社会人になるわけですから、打たれ弱い、レジリエンスの低い人が多いのも無理がないのかもしれません。

今、まさに、ウィズコロナの時代。新型コロナウイルス禍の現実にも、しなやかに、力強く立ち向かっていく知性的なレジリエンスこそが、コロナやあらゆる不測の脅威に打ち克つために求められていることだといえます。そのためにも、自然科学の学びは重要な意味を持つのです。

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