秋の新学期スタート!こういうときは愛の不登校を(1)

FMG独自取材で確認!実は文部科学省も要請

最近では、学習時間の確保の観点から、9月を待たずして夏休みを終える地域も多くなっています。夏休みの終わりから2学期の始めは、眩しい夏が終わり、秋の到来で昼の時間が急激に短くなるという季節的なわびしさや生活環境急変のストレスも加わり、5月の大型連休明けと並んで、学校生活に起因する精神疾患発症者や自殺者が急増するといわれています。しかし、世の中では、いまだに「(義務教育の)学校には行く(行かせる)のが当たり前だ」とか、「不登校は悪いことだ」という風潮が根強く、このような風潮になびく親や学校の誤解が、こどもたちを追い詰めているのが現状です。小学校や中学校での教育を管理監督する最高位の立場にある文部科学省(国)の総合教育政策局男女共同参画共生社会学習・安全課に、実際のところはどのように考えているのか、ふなあん市民運動メディア(FMG)では、不登校関連の政策について、国の本音を確認してみました。すると、このような説明をいただきました。

親御さんが(義務教育に関する誤解の同調圧力で)周囲の空気を過度に察して、こどもを無理やり学校に通わせるケースが多いことが問題になっています。多様な学習環境(ニーズ)を保障し、いじめや過度のストレスによる自殺や精神疾患発症を防ぐために、こどもが悩んでいたら、思い切って(問題の原因となっている学校の)不登校を決断していただきたいです。

これは、なによりもこどもの生命や心身ともに健やかに学習する権利を守り抜くことが重要だという観点からの、国からの要請です。苦痛の原因となっている学校に無理に通ったことが原因で、こどもが万が一、自ら命を断ってしまったり、絶望的なうつを発症し、何もできなくなってしまっては、元も子もないからです。学校や教育委員会が、上記の国の方針に矛盾するような説明をしている場合は、それは、学校や教育委員会が誤解していることになりますので、きっぱりと否定し、不登校宣言を言い渡すというのが、親や周囲の大人の責任として求められることになります。では、どのような場合に不登校を決断すべきか、不登校を決断したら、その後、どのようなことをすべきか(できるのか)、説明していきます。

不登校を決断するとき:同級生の低俗な話題についていくことに違和感の兆候があるとき

「同級生との話題についていくために、商業ゲームを買い与えたり、商業的なアニメの映画を見に行かせたりする。」近年多い、やってはいけない子育ての典型といえることです。このような低俗な同調圧力に迎合する親や周囲の大人の態度ほど愚かなことはないと言い切ってもよいほどです。あくまでも、自分は自分、他人は他人です。自分は自分の価値観(世界)軸を持っているのであり、低俗な話題ばかりの同級生に無理やり合わせる合理性は皆無です。親や周囲の大人は、こどものできるだけ高尚な興味関心を聞き出し理解し、その関心事を伸ばすように配慮したり、とくに興味関心を示すことがないようであれば、こどもの心身の特性を十分に理解したうえで、親や周囲の大人の持てるできるだけ高尚な関心事に関して、(無理やり教え込むのではなく、)自然に影響を及ぼしていくことが重要な意味を持ちます。

不登校を決断するとき:学校のカリキュラムに不足感を持っているとき

日本の公教育では、正真正銘のESDで要求される生きる力を養うという教育目標を達成するには、あまりにも不足したカリキュラムだといえます。ESDの考え方に基づく学習指導要領の改訂によって、主体的に考える要素が重視されつつありますが、そのためには、主体的な現実体験を深めていく過程が必要であり、実際の(とくに都市部での)学校では、教科書の知識の詰め込みと習熟度のペーパーテストとのルーティーンに終始しがちです。実は、学校がつまらないというこどもたちは、学校のカリキュラムが多すぎることを訴えているのではなく、そのような、目的意識が曖昧でウダウダ感が半端ない教育カリキュラムに不足感を訴えているのです。もし、カリキュラムが多すぎると思うのであれば、意味不明な知識の詰め込みに対する負担感が大きいことが原因であるはずです。簡単な心理ゲームをしてみればわかるように、人は誰しも、とくに意味を見いだせない情報をランダムに記憶すること(コンピュータのRAMが得意とするような、情報へのランダムアクセス)に対して、思いの外ストレスを感じるものです。ですから、記憶教科だと意識している教科に苦手意識を持つのは当然のことであって、そのような教科が苦手であることに劣等感を持つ意味は一切ないのです。その一方で、関連性のある一連の情報の習得に関しては、非常に得意であり、五(六)感を連携した立体的かつ深層的な体験は、学習において立体的な相乗効果をもたらします。そのような学習活動の習慣化によってこそ、人本来の能力が引き出されるものです。このことは、ESDにおいても「つながり思考」として重視されています。

不登校を決断するとき:学校に行くことが原因で身体症状が現れることが明らかな場合

学校に行くことを想像するだけで動悸や頭痛がしたり、下痢や腹痛、便秘を訴えるようなことはありませんか。このような身体症状が現れているようなときに無理やり学校に行かせることは危険です。無理やり学校に行かせたりすると、精神症状が悪化して、重度の(躁)うつ状態になり、ひきこもり状態から立ち直れなくなるおそれがあります。

あるいは、クラスメイトや担任の着衣の柔軟剤臭や合成洗剤臭、化粧品臭に違和感を訴えてはいませんか。明確な身体症状の発症に至っていなくても、合成化学物質臭は身体に何らかの悪影響のある可能性がある異物臭ですので、サインを逃して我慢させたりすると、化学物質過敏症の発症のおそれがあります。こども自身は、化学認識の概念そのものが曖昧で、これらの原因物質の有害性を自覚していないケースも考えられるため、親が問題の予兆にいち早く気づく配慮努力も必要です。(例:わが子が前の当番から受け取ってきた共用の給食当番衣から強烈な柔軟剤臭がする)化学物質過敏症は一度発症すると、原因物質への曝露の影響を完全に絶たないかぎり悪化し続け、(悪化すると、これまで症状が現れなかったような物質にも反応して症状を発症するようにもなり、)完治には多大な困難を伴うという、非常に厄介な病気です。

このようなときは、まずはこども本人の訴えを受けとめ、(動植物に身近に接することのできるような)やさしい気持ちになれ、有害性が疑われる合成化学物質の曝露を回避できるような環境で休ませてあげてください。(こどもが求めたとしても、商業ゲームやジャンクフードなどの教育上悪い刺激は厳禁です。)そして、後述のアドバイスを実践してください。

不登校を決断するとき:精神科医から適応障害の診断を受けた場合

適応障害は、学校などの環境に自己の意志でどうしても適応できない精神状態であり、精神科医による適応障害の診断は、(発症の原因となっている)学校での生活に関してのドクターストップ(不登校命令)と客観的に解釈されます。学校生活が原因で適応障害になることに関しては、決してこども本人が悪いわけではありませんので、絶対にこどもを責めたりしてはいけません。万が一、適応障害の診断を受けた場合には、必ず診断した医師に診断書を3通書いてもらい、その診断書のうち1部を学校に、1部を学校を所管する教育委員会に提出してください。(※公立学校の場合;学校による事実もみ消しなどの問題を未然に防止し、客観性を高めるために重要となります。)残りの1部の提出先は後述します。

(続く)

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