【商業主義暴力反対!】クリスマスイブは弱いものいじめ問題を真剣に考え、やさしさをとりもどす日

百貨店・おもちゃ店・ジャンクフード店…クリスマスイブは、これらの店にとっては、一年のうちで最も売上が大きくなる日であろう。このことに伴い、今日の日本では、最も多くの暴力や搾取が取引される日でもある。

暴力的搾取の美化形「(非ヴィーガン)クリスマスケーキ」と「ローストチキン」

狭く完全に拘束されたバタリーケージに閉じ込められたうえ、雌鶏の骨のカルシウムを奪ったり、強制換羽で羽を脱落させてまで搾り取った卵をふんだんに使ったクリスマスケーキ、そして、生後40〜50日の間、太陽も愛らしい花が咲く草原も見ることなく、首都圏の朝夕の通勤ラッシュの電車にも匹敵する超過密状態のブロイラー養鶏場でストレスに怯えながらブヨブヨに育った後、斬首・血抜きで屠殺され、添加物たっぷりの調味液にドブ漬けの後にロースターで焼かれるところを「デパ地下のショー」でさらされるローストチキン。これらは、現代の日本のほとんどの家庭やパーティー会場では必須アイテムだ。しかし、これらの裏に潜む残虐を考慮して購入の意思決定に反映させる人は皆無に近い。今や世界は持続可能性・SDGsの時代、見て見ぬふりは許されない。

屠殺予定の豚が満載されたトラックとその帰りの空のトラック、夜でも大賑わいのKFC・スシロー・マクドナルド、これらは昨日、著者が能勢の往来道中でみた光景だ。非常に悲しい気持ちにさせられたことはいうまでもない。しかし、その気持ちを、某日本C党の党員でもある人に伝えても全くわかってもらえず、そのうえ逆ギレされる始末。それが全てとはいわないが、日本人はいつからそこまで利己的で非情な国民に堕ちたのか。なんとも情けない。

クリスマスプレゼントは「殺傷ゲーム」

最近の小中学生の多くは、ニンテンドースイッチかプレイステーションかXboxかなんらかの商業ゲームプレイヤーが家庭で使用可能な状態にあるという。このような時代のクリスマスプレゼントの定番は、これら商業ゲームプレイヤーの本体やこれらゲーム機に対応したゲームソフトダウンロード用POSAカードなのだという。商業ゲームプレイヤーの本体があれば、POSAカードはコンビニでも買うことができるから、最近のサンタクロースは楽なのだという。そのように感心している場合ではない。最近のゲームは人や動物・モンスターなどの殺傷シーンや物体破壊シーンが過激化しつつあり、残虐性を増している。CEROレーティングというものもあり、多くは小中学生のプレイはしてはならないとされるC・D以上(15禁)とされているが、あくまでも業界の自主基準にすぎず法的拘束力はなく、親が買ってこどもにこっそりさせているから、実効性はほとんどない。さらに最近では、「ポケットモンスター」「鬼滅の刃」「呪術廻戦」という、いずれも殺傷シーンや暴力シーンが見ものになっている商業アニメが、親子ともにブームになっているという。これらのキャラクターグッズは、玩具菓子やパンなどから手に入り、商業ゲームよりもお手軽ということも手伝い、価格やこどもの年齢などの関係で商業ゲームの購入を躊躇する層が買っていくのだという。

元来狩猟民族だったはずの欧米人が持続可能性時代でやさしさをとりもどす大変容を遂げつつある一方で、日本人は、前述のクリスマスケーキやローストチキンの残虐との相乗効果で、弱い立場にいる人や動物の痛み苦しみがますますわからなくなっているのだと考えると、これからの日本はどこに向かうのかと、虫酸がさす思いがする。一人ひとりがいま、手当ての行動をしないと、これからの日本に明るい明日はないだろう。崖っぷちはもうすぐ目の前だ。

やさしさをとりもどすヴィーガン・クリスマスがこれからの新常識に

本来、クリスマスとは、イエス・キリストの誕生日であり、静かに聖書を読み、キリストに祈りを捧げることで、一年の罪穢れの免罪を願う西洋の祭事である。また、近年では、イスラエルが首都としての実効支配を主張するエルサレムがキリスト教の聖地であることもあり、商業主義依存からの脱却など、身近にできることを通じて、中東の恒久平和、さらには宇宙にある奇跡の星、地球全体の生きるものすべての平和を願うという意味合いもある。そのようなわたしたち市民にできる持続可能性に配慮したサステナビリティ・コンシャスなクリスマスの祝い方が、新しい常識になりつつある。ヴィーガンケーキに植物性たんぱく質でできたヴィーガンフライドチキンと、動物からの搾取が一切ないクリューエルティ・フリー(残虐性からの解放・残虐性なし)というコンセプトだ。骨を溶かし、自他ともにボロボロにするコカ・コーラではなく、五穀豊穣の象徴として、大人は少量のおいしいワインや日本酒、ビールを嗜む。こどもなら、みかんやぶどう、りんごなどの果汁を炭酸水で割った特別なジュースはいかがだろうか。ただ単にバカ騒ぎするだけのクリスマスはもう卒業するときではないだろうか。今年からは、ぜひ、利他の慈愛に満ちた、こどもの見本たる大人のクリスマスを演出してみてはいかがだろうか。そんなクリスマスの実現可能性を探るべく、これからクリスマス商戦で賑わう大阪梅田の街に繰り出すことにしたい。

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