ジェンダーフリートイレはおおらかな成熟社会の象徴、それに異議を唱える稚拙さ【SDGs3・4・5・6・11】

東京都などのパブリックスペースで増えつつあるジェンダーフリートイレに関して、日本では、「(のぞき見など)性犯罪の原因になるのでは」などの異論も多くあり、議論を呼んでいます。LGBTQの人などでも、性別の壁を気にすることなく、ごく自然に用を足せるようにとの、ジェンダー平等社会の実現を目指してつくられるジェンダーフリートイレですが、ジェンダー平等に関して歪曲した認識を持つ人は、日本ではまだまだ多くあり、日本における性教育やうんち教育の遅れを露呈しています。

教育・福祉先進国の北欧のスウェーデンでは、ジェンダーフリートイレでの用便に関して、「こどものころから、それがあたりまえだった」と、空気や水のようにあたりまえにある存在だという認識が浸透しているといいます。

日本国内でも、性教育やうんち教育に関しての認識が進んだ一部の小学校などで、古いトイレの改修の機会に、あえてジェンダーフリートイレを設ける動きが起こっています。児童の多様な価値観に対応するために、従来の女子専用トイレ、男子専用トイレも設けつつ、女の子も男の子も思いやりながら、性別の壁をこえてすっきりと用を足せるジェンダーフリートイレの使用を「あたりまえ」のこととすることで、ごく自然に性教育やうんち教育が実践できるような教育的配慮がなされています。女子か男子か、うんちかおしっこかもわからないジェンダーフリートイレにすることで、とくに男子の大便で長年問題になっていた「からかい」や、それに起因する便秘や排便障害の問題が自然に解決したり、性別を問わず、出したいときにうんちをすることの大切さの教育が自然なかたちでできるという効果があります。

児童教育者の資質を問う設問

あなたは、小学校の男性(※男性と性自認するLGBTQの人を含む)教員です。誰かがうんちをしているのでしょう。あなたが公園の「みんなのトイレ」のブースがあくのを待っていると、そのブースから、半袖短パンの小学校3年生の活発な女の子がとびはねるように出てきました。その女の子は、こども食堂によくカレーライスを食べにくる大食いの子で、「こんにちは。」と大きな声でにこにこあいさつしながら出てきました。酸っぱい力強いにおいがするので、トイレを見てみると、その女の子は、うんち(大便)をながさずに出てきたのでした。きのう、その女の子は、こども食堂でカレーライスを何回もおかわりをしていたこともあり、大人顔負けの、ものすごく太くて長いうんち(下のイラスト)でした。その女の子は、近くの木のベンチにすわって、あやとりをしてあそんでいます。あなたは、どうしますか?

小学校3年生の女の子のおてんばうんち(大便)(イメージ)
酸っぱい力強いにおいは、腸内細菌叢が優秀できれいなうんちの証拠。とくに女の子は、生理が始まって便秘にならないよう、うんちが大好きなできるだけ早いうちに自己肯定感を高めておくことが大切。

ここで問題になるのは、「自分のうんちを置いていった小学校3年生の女の子のことをどう思うか」ということです。

結論から言えば、この小学校3年生の女の子にネガティブな感情を持つ人は、児童教育者として問題があり、ほめてあげたいと思う人は、児童教育者として優秀な資質を持っているということになります。

ネガティブな感情を持つ人は、この小学校3年生の女の子のことを、「しつけが悪い子」だとか、「女の子らしくない」とか、あるいは、「発達障害や知恵遅れがあるのではないか」など、うんちをながさない小学校3年生が全面的に悪いとしか考えられないわけです。また、うんちというものそのものも「汚物」という認識が先立つわけです。なかには、「男性が女の子のうんちだなんて、頭がおかしいんじゃないの」と思う人もいるでしょうが、そのような、異性のうんちを極端にタブー視するような人にかぎって、性に関して歪曲した考え方をもっている傾向があります。冷静に分析的に思考してみるとわかるように、健康な小学校3年生の(男女)児童のうんちなんて、ジャンクフードを常食したり、商業ゲームなどで不摂生をしたりしないかぎり、とてもきれいなもので、実質的には善玉菌のかたまりで、きたない要素は何らないものです。「うんち=(無条件で)汚物」という固定観念でみること自体、思考停止であり、些細なミスなのかもしれない、かわいいこどもの行動を受け止めることのできない、器の小ささをあらわす考え方といえます。

できる児童教育者であれば、その女の子のうんちをすぐにながしたりはしません。絵本「うんこのたつじん」のあきこせんせいのように、人の温もりが残るうんちを丁寧に手に取り、しっかりと観察をします。なぜなら、そのうんちは、「大便」ともいうように、その女の子のおなかの中からがんばって出てきてくれた、その女の子の「からだからの大きなお便り」なのであり、彼女の「元気のおすそわけ」ともいえる存在だと見ることもできるからです。前に示したように、そのうんちは、きのう、女の子がこども食堂でおなかいっぱい食べたカレーライスを、女の子のおなかの中で、女の子に元気や血や肉のもとを与えたあとの残りと、有り余った「元気」、すなわち、女の子の腸に入りきらない腸内細菌とがねばり固まった、とても愛おしい元気のかたまりなのです。あなたは、その女の子のことを知っているわけですから、手のひらタッチをしてほめてあげたりします。元来、人のこどもは、自分や他人の元気なうんちが本能的に大好きです。そのようなこどもは、自分(や他人)のうんちが自然でよいものだと、ほめられる対象だと認識すれば、ごく自然なお通じになり、よりよいうんちを出そうと、日常生活でも自然に健康を意識するようになり、自然と元気で前向きになります。そのことをよく知っているあなたは、すばらしい児童教育者だといえるでしょう。

小学校でのうんち教育は、男女を問わず、とても大切なことですが、とくに女子の場合は、早い子は高学年から生理が始まり、そのため使うに便秘になりやすいことから、できるだけ早いうちにうんち教育を意識的に行うことが重要です。男子もうんちをするジェンダーフリートイレで女子もうんちをすることが日常になれば、日本も近い将来、スウェーデンのようなおおらかな成熟社会になっていくかもしれません。

公共トイレはまちの健全性の指標

ジェンダーフリートイレが性犯罪の原因になるであるとか、公園のトイレはきたないという思い込みを持つなど、公共トイレに関して、何かとネガティブに考えがちな社会は、その社会が稚拙な証拠です。前のように、小学生の大きすぎてながれていないうんちが毎日ころがっているような公園は活気のある健全なまちといえますが、いたずらによる汚損・破壊行為があるような公園のトイレは、そのまちが病んでいる証拠です。早いうちに適切な性教育やうんち教育がなされていれば、そのような問題が起こることはまず考えられませんし、日本でもすでに、電車・バスの車内やスペースが限られた公共スペースなど、ジェンダーフリートイレは部分的には普及しています。

女の子も男の子もみんな、ひとの温もりジェンダーフリートイレでうんちをしよう!

ジェンダーフリートイレを気持ちよくきれいに使う人は、みんな思いやりのあるいい人です。記者の場合、こどもや女性が快便のうんちをしてすっきりして出てきたジェンダーフリートイレの、他人のばばっちい元気を感じる便座にすわると、とても清々しい気持ちになりますし、ジェンダーフリートイレをあたりまえのように使う人もいることがうれしく思います。元気なうんちがながれずに鎮座していれば、「その人はきっと元気の贈り物をしてくれたんだな」と、うれしく思います。あなたもぜひ、他人がうんちをしたあとの、他人のうんちが香るジェンダーフリートイレにすわって、うんちをして、ほっこりとした気分になってください。前の人がとても活発な人なら、便座にこってりと足の「あか」がついていたり、O便座の前の部分が人間味のある酸っぱい香りがすることもあります。公共トイレを使う以上、他人の菌をありがたくいただくという、肯定的な気持ちをもってすわると、清々しい気持ちになります。もともと日本人は、人糞を堆肥としてありがたく使う文化があったことや、健康的な食生活であることもあり、他人のうんちにも好意的だといわれますが、それが歪曲した西洋化同調圧力によって、その意識は行き過ぎたほどに否定的になり、さまざまな問題の原因にもなりました。そして今、うんちそのものの新しい科学的知見やジェンダーフリーの価値観変容も後押しし、トイレのあり方も大きく変わろうとしています。どのようなトイレをつくるかは、その街のまちづくりや教育をよく表しているともいえます。誰でも、性別の差をこえて、思わずうんちをしたくなり、使う人同士が仲良くなれるようなジェンダーフリートイレを増やしていきたいものです。

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