【感染症対策】免疫力向上を呼びかけない本当の理由(2)

【訂正】ビル・ゲイツが日本政府から受章したのは、紫綬褒章ではなく、旭日大綬章でした。お詫びして訂正いたします。(記事には訂正反映済みです。)

マスコミや国・自治体が免疫力向上を呼びかけない理由には、利権擁護があることを前回言及しましたが、実は、利権擁護ひとつとっても、非常に根が深いものがあります。例えば、不健康な食の代名詞として悪名高い日本マクドナルドは、今期最高益を達成していたり、鳥インフルエンザの問題を風評被害の問題にすり替えたうえ、「卵や鶏肉を食べて感染した例はない」などといっては見てみぬふりを煽るといったことが起こるなど、歪曲された社会現象に関しては枚挙に暇がないほどです。要するに、マスコミの有力スポンサーの商材でもある添加物だらけの加工食品やジャンキーな外食(テイクアウト)、工業的に生産された畜産物が売れなくなると困るので、意図的に見てみぬふりをするわけです。この問題については、ひとまずこれくらいにして、他の理由についても考察してみることにします。

タブーに触れることを恐れる

結論から言いますと、感染症予防や花粉症やアトピー性皮膚炎などのアレルギー体質の改善に最も重要なことは、腸内細菌叢の改善です。腸内細菌叢とは、すなわち糞便(うんち)そのものです。「うんち」の表現は、とくにテレビでは強くタブー視されていますし、人によっては非常に強い嫌悪感をもっていて、そのような人の反発を恐れて言及しないのではないかと考えられます。しかし、このメディアは市民にとって重要な真実を真面目に考えるメディアですから、はっきりと言わせていただきます。

強いタブー視の影響からか、意外と知られていませんが、細菌学的には、野菜や穀物、発酵食品を日常的に食べる習慣のある農村の未成年者のうんちは、食べられるくらいきれいだといわれています。さらにいえば、毎日健康的な学校給食を食べている小学校児童に関しては、都市部(東京・福岡)でも、ビフィズス菌などの善玉菌が圧倒的に優勢な非常に優秀なうんちであることが明らかにされた学術報告もあるほどです。実際に著者の私も、小学生くらいのこどものうんちを自分の大腸に入れて、とても調子がよくなることを、何度も確認したことがあります。よく考えてみてください。実は、ビフィズス菌ヨーグルトやビフィズス菌サプリメントがありますが、これらのビフィズス菌は、当然ヒト由来のものが最も相性がよいとされます。ヒトの腸内細菌由来ということは、もとはうんちから採取された菌株ということになるわけです。実は、こういうかたちで、人のうんちは身近な食品に応用されていたのです。

毎日よいうんちが出ることは、感染症予防の観点からも非常に重要なことです。私自身も、こどもうんちの摂取と高繊維食、食品添加物(とくに保存料・合成甘味料)の排除を併せて実践することで、風邪やインフルエンザなどの感染症にかかりにくくなったことを実感しています。もちろん、花粉症などのアレルギー性疾患を発症する兆しも全くありません。

近年では、健康な他人のうんちを移植する糞便移植が注目されたり、腸内細菌ベンチャーが相次いで誕生したり、資源循環と正しい衛生観を啓発する観点から、自然学校などでの手づくりコンポストトイレ(流さないトイレ)の利用が注目されるなど、うんちに関して肯定的に見る意識改革が徐々に起ころうとしていますが、学校でうんちができない小学生がいまだに多いなど、まだまだ根強い誤った固定観念があるのも事実です。「うんち=タブー」という図式が改まらないのも、思考停止の一例といえます。

うんち(腸内細菌叢)に関しては、近未来の身近なバイオテクノロジーの視点として非常に重要な意味がありますし、とくにこどものうんちは「医者いらず」といえるほどすばらしいものであり、話題として非常におもしろいですので、今後も取り上げていきたいと思います。

同調圧力と面子

根強い同調圧力で少数意見を認めようとしないのは日本人の悪い癖のひとつです。そのうえ、面子を保つため、一度言ったことは、たとえ間違っていたとしても言い通すという、日本社会(とくに役所や大企業)の厄介な特性もあります。一度マスクやソーシャルディスタンス、消毒が大切だと言い出したら引き下がれない、一度これらで同調圧力ができたら、異論は無条件に排斥するといった風潮が、日本には根強くあります。新型コロナウイルスなどの感染症対策について言い始めたときに、免疫力のことは言及されていなかったため、「今更いえない」ということで、言わずにいるというわけです。

ゼロから客観的に知を批判的に再構築するということ

感染症対策に限らず、すべてにいえることですが、ゼロから客観的に知を批判的に再構築するということは、固定観念で思考停止に陥らないためにも非常に重要なことです。これまで、日本人は、批判的思考ではなく、いかに同調するかという教育を受けてきたため、世界的にみて、批判的思考が極端に苦手だといわれています。批判的思考ができないということは、すなわち、市民運動ができない、イノベーションを起こせないということに直結してきます。そのような問題を放置する日本社会に明るい明日はないという危機感を一人ひとりがもつことが、今、最も求められていることではないでしょうか。

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