日経xwomanの「ゲーム嫌いな親」の論点そらし記事が物議:「親子ともゲーム嫌いの本当の理由はそうではない!」世間から理解されない生きづらさ

子育てママ(母親)向けのWebメディア、日経xwoman(クロスウーマン)の的外れ記事が物議を醸しかねない状況です。ゲーム嫌いの親のゲームが嫌いな理由として、「こどもがゲームに熱中しすぎて、勉強をしなくなるおそれがあり、ゲームをなくしてもっと勉強をさせたいから」というのが多いとし、論点そらしの理由付けをしているのです。FMGの読者の方であればご承知のとおり、真のゲーム嫌いの理由というのは、親子ともに、そんなに単純なものではなく、哲学的な深い理由によっているのです。とくに、社会正義や人道的社会貢献活動、環境保全活動といった地球人としての善行、慈しみの気持ちに強い関心を抱き、その関心を身近なところにも反映したいと願うギフテッド層に、真のゲーム嫌いが多い傾向があります。この日経xwomanの記事は、ゲーム嫌いな親やこどもに関する正しい理解を妨げ、ギフテッド層の希求が世の中にますます届かなくなる懸念があるとして、FMGは注意喚起します。

「喧嘩や殺戮、破壊はやめて!」それが真のゲーム嫌いのこころ

世代を問わず、真のゲーム嫌いの人に共通してあるこころ、それは、

喧嘩や殺戮、破壊はやめて!

ということです。喧嘩や殺戮は生産性がゼロ以下の社会的マイナスであり、広義での破壊行為になります。とくに、まじめ特性を持ったギフテッド層は、クリエイティブな物事、すなわち、社会的にプラスになる創造事象を求め続けているのです。パレスチナやウクライナで、イスラエルやロシアからの理不尽な攻撃に遭う現実にも心を痛めているというのに、現実から隔離されたバーチャルの世界のなかで、なぜわざわざ喧嘩や殺戮、破壊をしなければならないのか、そのような疑問を持っているのです。そして、一部とはいっても、ゲームに没入することによって、器物損壊行為や暴力行為、殺害行為といった犯罪行為に手を染めるゲートウェイになっていることを憂慮しているのです。もし、周りの社会の言いなりに、わが子にゲームを思う存分させていたら、わが子が思春期を過ぎた頃には、そうなってしまうのではないか、不幸中の幸いで、そういうことがなかったとしても、将来は商業依存が常習化していることで、創造的思考ができない、頼りっきりのつまらない人生になるのではないか、というという不安を抱えているのです。真のゲーム嫌いの親も子も、公立学校の定型的な勉強はさほど重要だとは思ってはいません。これは、ギフテッドのこどもの多くが、公立学校のあまりにもレベルが低すぎて創造性に欠けるカリキュラムに退屈し、不登校になることとも矛盾しません。学校の勉強よりももっと重要なこと、それは、こどもとしてあるべきあそびを含めた創造的な活動の一つひとつの積み重ねを通じて、創造的で思いやりのある、社会起業家精神の礎となる人間性を育むということです。それはまさに、商業依存と破壊の象徴ともいえる商業ゲームを好むこととは正反対ともいえることです。商業ゲームに没入すれば最後、やればやるほど、そのようなこどもにとって重要な機会を逃すことになり、時間も精神的ゆとりも智性も無駄になってしまう。それこそが、おとなでもこどもでも、商業ゲームが嫌いな人の本音なのです。著者も、今から振り返れば疑いの余地がないギフテッドで、昭和後期の当時は、ギフテッドという概念が全くといってよいほど理解されず、「普通の子でなければ、ただの問題児」という扱いしかされませんでした。銀鮒の里の活動を手掛けるようになって、「小学生時代に、もっとほかの子とはだすりすりしてあそべたり、同じような関心を持った知的なこどもと出会って、創造的な活動ができていたら」と、とても悔しい思いをしたりするものです。「私がこどものころに、銀鮒の里学校があったら…」せめて現代のこども、とくに、ギフテッドで居場所を探しているこどもには、私のこども時代のつらい経験をしてほしくないとの思いで、今から約9年前、銀鮒の里学校の活動を思い立ったのでした。

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