第49回衆議院議員総選挙、自公連立与党安定過半数超過確定、コロナ禍もってしても変化を嫌う民意反映か

ドイツのような政権交代ならず、稚拙な公民教育を如実に反映

世間がハロウィーンで浮き立つ中で行われた第49回衆議院議員総選挙は、投票終了直後の段階では、自民党単独過半数に達せず議席を大幅に減らす厳しい見通しの一方で、立憲民主党や日本共産党をはじめとする野党共闘勢力の大躍進も期待されたが、開票が進むにつれて、勝利ラインとされていた自民党単独過半数に達するなど、与党の安定勝利が確定する結果となった。野党勢力では、大阪・兵庫の事実上の「地方政権政党」として圧倒的な支持を固め、首都圏などでの党勢拡大を狙い、あえて野党共闘に加わらず「第3の野党勢力」を訴える独自路線を貫いた日本維新の会が議席41(前回11)と、前回の3倍を超える議席を獲得する大躍進となった。

今回の第49回衆議院議員選挙も依然としてつまらない大茶番の選挙戦だった。欧州先進国では、9月にドイツで連邦議会選挙が行われ、独社民党が第1党となる政権交代を果たし、環境政党の独緑の党も大躍進し、16年続いたメルケル政権を陥落させるなど、民意大変容の成果を見せつける結果となり、SDGs時代の大きなうねりを起こしているが、今回の日本では遠く及ばなかった。日本とドイツの根本的な違いは何か、その答えは、「大人の会話」の質の違いにある。ドイツなどの欧州では、公教育でも実在する政党に関する討論がごく自然に行われ、教育カリキュラムで模擬選挙をするなど、真の公民意識を高める教育が行われている。一方、日本では、高校で社会科の「公民」という教科が設定されているものの、公民意識の礎を築くうえで重要とされる小中学校の社会科教育カリキュラムでは、「公教育における政治的中立」の曲解からか、ドイツのような政治的討論はタブー視されている。その影響からか、社会に出ても、職場やコミュニティでの時事の話題は「政治的」「堅苦しい」などと敬遠される風潮もあり、依然として稚拙な大人社会は変わっていない。今回の投票率は55.68%と、半数をかろうじて上回るにすぎず、「これがほんとうの民意なのか」と疑わずにはいられない不本意な結果だ。一見して「政治的な会話」にみえる時事討論を敬遠するようでは、明るい日本社会のその先を見通すことはできず、SDGsもウォッシュのハッタリで終わってしまうだろう。

野党共闘も目先口先だけ、民意動かさず

立憲民主党や日本共産党などの野党がその存在感を強めているとみられてきた野党共闘だが、選挙戦が終わり、蓋を開けてみると、コロナ後の一時的手当てに終始するのが精一杯で、社会の大変容を確信させるような強力な公約を打ち出せる政党は見当たらなかった。ふなあん市民運動メディアが訴えてきているような「ニセ科学規制法の実現による、真面目な努力が正当に報われる仕組みの再生」(産業・消費者)や「リスクコミュニケーション基本法の実現による化学物質過敏症や環境汚染の未然予防」(環境・保健)、「義務教育課程からの化学必修化」(教育・科学技術・消費者)、「情報(IT)・農業分野などでの外資勢力の制限」(経済・農業)、「ケージ養鶏等工業的畜産の禁止を前提にした畜産規制」(農業・環境・保健・生命倫理)のような主張もなく、かすりもしない。SDGs時代の大転換を果たしたドイツのように、そのような主張が、政治の世界でも行われるようにならないかぎり、日本の社会がSDGsの真の恩恵にあずかることはできないだろう。

日本にかぎっていえば、もはや国政に期待はできない。その逆境に、ほんとうに「こうでありたい」という社会を実現したいのなら、小さくても市民自ら主体的に新しいうねりを起こす草の根のチャンスを見出すようにしていきたいものである。

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