あなたは、なぜ、何のために、この世界にいるのですか。
この質問に、あなたはすぐに答えられるでしょうか。
「誰一人として取り残さない」、これは、持続可能な開発目標(SDGs)の目指す世界像です。では、あなたは、そのような世界を実現するために、どうあるべきだと考えますか。
自分を大切にするということ
あなたは、自分を大切にしていますか。
まず、結論からいえば、誰でも、自分を大切にできない人は、他者はもっと大切にできないということです。
自分を大切にするとは、利己的だという人がいますが、それは、その人自身が利己的思考にあることの顕れであって、誤解であることはいうまでもありません。むしろ、その逆で、この唯一の世界の中で、自分が調和するために自律していくということ、すなわち、心身ともに自己管理ができる(セルフマネジメント)能力を高めるということです。
自分を大切にすることの最もわかりやすい例、それは、(心身の)健康管理です。
基本は、自分に正直になること、無理をしないことです。
そういうと、「力を抜くこと」と勘違いする人がいますが、やはりその逆で、「実現のために(悔いが残らないように)頑張ること」です。そのための行いが常にできていることをもって、心身の健康は保たれるというわけです。
カネを得るためだけのやりたくない仕事はやめる。自分がほんとうにやりたかったことをやる。これも自分を大切にするための大切な決断です。自分にとって、世界にとって、カネは最も大切なものですか。決してそうではないはずです。もっと大切なものやことがあるはずです。その「カネよりも大切なものやこと」のために、自分はどうあるべきか、自分は何ができるか、実は何をやりたいのか、自分で考えてください。その答えを、まずは自分で実行してください。
自助・公助とは
現政権が掲げたことで注目された「自助・公助」ですが、実は、昭和の地域社会では、その仕組みが当たり前にできていました。その道徳観は、親の代から、祖父祖母の代から、曽祖父曾祖母の代から、さらには近所の人からごく自然に躾けられ語り継がれてきました。しかし、今はどうでしょうか。都市部では絶滅の危機にあります。農村部に行けばかろうじてその名残りはありますが、やはり、都市部の影響が及びつつあり、絶滅の危機にあります。自助とは、自己管理や自己責任とも言い換えられますが、これを大切にするのは、実は世界共通の普遍的な価値観です。よくアメリカの社会は自己責任だといわれますが、それも誤解で、昭和の頃やそれ以前の日本の社会もそうだったのです。言い換えるなら、そのような誤解は、日本は他国に比べてコミュニティの力の衰退の度合いが顕著であり、その引き下げられた自助基準のもとで相対比較したために起こることにすぎないのです。
公助の前提にあるのが自助です。自助ができていなくて、公助はあり得ないのです。自助・公助に違和感を唱える人がいることは、社会の歪みの顕れです。自助・公助を国として掲げないといけないような世の中、なんとも情けないと思いませんか。
ありのままの自分を大切にしていますか
令和の時代にもなると、(化学合成の)ヘアダイで自分の髪を染めることや、ピアスをつけるための穴を開けることの何が悪いのかわからない人がいるそうです。
そういうことをいうと、「昭和生まれの古臭い考え方だ」と全否定する人もいるらしいですが、そのような人は、ほんとうに自分を大切にしているのでしょうか。否、そのような全否定をする発想こそが、自分を大切にしていないことの顕れなのです。
あなたの身体は、唯一無二のかけがえのないものであって、この世界があなたに授けたものです。そのあなたの身体に身勝手な改変を加えることは、「(唯物論的)神の冒涜の最たるもの」といえるのです。だから、昭和の頃の人は、染毛やピアスなどの身体加工を道徳的悪行だとして語り継いできたのです。そのような普遍的価値観は、半世紀程度の短い間に変えられるようなものではなく、変えてはいけないことなのです。
例えば、このようなことを思うようであれば、あなたは、自分を大切にしていない、自滅に向かう危険信号だと認識すべきです。
- 髪を意図的に変色させることに罪悪を感じない
- ピアス穴を開けることに罪悪を感じない
- タトゥー(入れ墨・刺青)を入れることに罪悪を感じない
- 自身や他人の体格や容姿が気になる
- ジャンクフードを食べることを厭わない
- 食べものの組成や生い立ちに無頓着
最初の3つはいまさら説明の必要はありませんが、4つ目の考え方はハラスメントの予兆です。自分のどうでもよいことばかりが気になる器の小さい人間だから、(太りすぎている、痩せすぎている、性的表現など)他人のどうでもよいことはもっと際立って見えるのです。こうして、他人に心無い発言をする、すなわちハラスメントを犯すのです。
5つ目・6つ目は、自分の身体は自分の食べたものでできているという化学哲学に基づく考え方によるものです。粗末な不健康な食べものは、その人の心身をあらわしているともいえます。素材からダメなジャンクフードは、どのようにしてもダメです。そのような粗末な不健康な食べものを食べることを躊躇しないということは、ダメ人間になることも躊躇しないということなのです。
自分で答えに迷ったときにすべきこと
自分で答えを出すためにすべきこと、それは、大地や海原、天空や自然現象といった普遍的なものとしっかりと向き合うことです。ボーッとするのではなく、しっかりと向き合うことです。大地と向き合うには手作業での農作業、海原と向き合うには航海やマリンスポーツ、天空と向き合うには、積極的な天体観測などです。自然現象と向き合うためには、自然の理を理解すること、すなわち、自然科学の学問そのものなのです。そうすれば、あなたの存在の大きさも、あなたを取り巻く世界の奥深さを、大自然はあなたに教えてくれるはずです。そして、あなたのこの世界での存在の意味に、自身で気づくのです。ESDも、究極的にはそういうことを目指しているというわけです。
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