日本全国の学校給食の現場でほぼ共通した悩みがあります。それは、
「カレーライスやハンバーグのような洋食は大人気なのに、和食の献立はいつも残飯が多い」
というものです。残念ながら、いくつかの根本的な原因を押さえた改善策を講じないかぎり、この悩みはいつまで経っても解決しないと思いますし、このままでは、日本の食、さらには、日本の文化そのものまでが崩壊の危機にあると思います。このような日本としてあるまじき矛盾を解決するには、どのような視点で、どのような解決を目指していけばよいのか、熟考していきたいと思います。
和食文化には三次元的な奥行きがある
和食の美味しさを決定づける要因としては、
- 食材の質
- 食材を使用する季節(旬)
- 調理法(科学的根拠とこころ)
があり、これらが三次元的に複雑に関係しあって決定づけられると考えられます。特定の要素がとくに秀でていれば他の要素でカバーできることがありますが、それにもやはり限界があります。例えば、いくら食材の質がよくても、旬から外れていたり、食材の調理法が理にかなったものではないと、美味しさを引き出せませんし、一流の料理人でも、食材の質が劣ったものではおいしいものができません。言いかえれば、一流の料理人は、調理技術以外の2要素についても熟知し、はじめから質の劣る食材や旬ではない食材は避ける正確なこだわりも調理技術の一部であると認識しているからこそ、おいしい料理がつくれるのです。ここでは、他の要因でカバーすることが最も困難とされる「食材の質」について熟考したいと思います。
味が薄い野菜
野菜の濃い味には理由があります。実は、野菜の濃い味の化学的本質は「自然との自発的コミュニケーション手段(アレロケミクス)」といえるものなのです。それらの味や香り(アレロケミクス)は、野菜自身にとって来てほしくない他種生物へのメッセージであることもあれば、子孫を残すためにおびき寄せたい他種生物へのメッセージであったりもするのです。昔ながらの濃い味の野菜には、厳しい自然のなかでたくましく生き抜く力があるのです。
ところが、最近の野菜はどうでしょうか。野菜嫌いの人のニーズを反映してのことなのでしょうか、味が薄くて不味いと感じる野菜が多いと思いませんか。しかも、その味の薄い野菜は、特定の種苗会社や多国籍アグリビジネス勢力が独占的に権利を握るF1(一代交配)品種である場合が多く、メンデルの遺伝の法則に則って遺伝的形質が分散されるので、農業としては、毎年、権利者から種子を購入することを余儀なくされるのです。また、F1が普及する理由のひとつとして、雑種強勢の利用があります。食味に優れるものの、耐病性が劣る品種に、食味が劣るものの、耐病性が強い品種を交配すると、後者の耐病性の特性が子に強く継承され、農業生産にとっては好都合の品種ができるというものです。しかしながら、食味が劣る特性も遺伝するためか、トマト特有の香りがほとんど感じられない桃太郎トマトのように、F1で食味が劣る場合も少なくないのです。現在、スーパーマーケットに並ぶ野菜の大部分は、F1品種であるとされています。
味が薄い野菜は、アレロケミクスの合成能力も低いということですから、当然、害虫や病気の被害も受けやすくなり、これらの外的影響を受けることで、大地から栄養を取り込む力も弱くなります。そのことに気づかない農家は、農協(JA)側の言いなりで、大量の農薬や化学肥料を使用するのです。その結果、農薬に保護されて虫食いなどがなく、硝酸性窒素で水太りして、見た目上は見栄えがする野菜が安定に生産されるのです。さらに、農協(JA)が見た目で厳格に規格化しているため、虫食い野菜や小さい野菜は、選別場や、選別場に出荷される前の生産農家の段階で排除され、市場では敬遠されることも、現代の野菜の多くがおいしくないと感じる大きな理由の一つなのです。
工業的畜産と養殖漁業
ほぼヴィーガンスタイルに近い昔と比べて、現代の和食には、畜肉や鶏卵、魚介類も多用され、一見して風味豊かになったかのようにもみえます。ところが、皮肉にもそのような期待は180度裏切られることになります。気づいてみれば、牛も豚も鶏も、狭い畜舎で過密飼いをするため、本来の濃い味はせず、生臭さや水っぽさが際立つ中途半端な肉や卵が生産され、養殖の魚も不自然に脂ぎってブヨブヨの、やはり本来の美味しさが感じられない中途半端なものになります。狭い日本の国土にあって、動物福祉に配慮した広大な設備が必要な畜産は不向きなのです。鶏にいたってはとくにひどく、鶏卵の94%以上はケージ飼い、市場に流通する鶏肉の大部分から、抗生物質や合成抗菌剤が効かない薬剤耐性菌が検出されている事態です。魚介類についても、昔の近海ものや河川・湖沼の天然雑魚ではなく、本来は外洋にいる魚を無理やり養殖したものが多くなっています。日本がODA(政府開発援助)の一環で技術援助をしたチリ産の養殖鮭はその代表的な例であり、もともとは北半球の北緯35度以北の地域にしか生息しない鮭を無理やり南半球のチリの海域で養殖したものです。生産地が地球のほぼ裏側であるにもかかわらず、安価で大量生産されるため、日本国内のスーパーマーケットに出回る鮭の大部分を占めるという異常事態が起こっています。
経済効率優先の調味料
和食にはさまざまな発酵(醸造)調味料や塩を使用しますが、これらの調味料は、その製法で風味が大きく異なるため、和食の味に大きな影響を及ぼします。とくに大きな影響を及ぼす調味料の例として、醤油・味噌・酢・酒類・塩があります。
廉価品の醤油は、コストを抑えるために脱脂加工大豆や輸入小麦、食塩(NaCl)相当量の多い食塩、醸造アルコールが使用され、醸造工程が短期間の速醸法で製造されます。最も廉価なものでは、うま味調味料(化学調味料;「調味料(アミノ酸等)」と標記)や保存料としてチアミンラウリル硫酸塩(「ビタミンB1」と標記)、安息香酸ナトリウムやパラオキシ安息香酸が添加されているものもあります。(南九州産の甘い醤油には、サッカリンナトリウムなどの合成甘味料を含むものもあります。)単調な味と香りで塩カドがあるため、実質的には塩水に近いものといえます。このような廉価品の醤油は、単に塩味と醤油感を出すだけに過ぎず、素材の味を引き出しません。一方で、国産の丸大豆と国産小麦、食塩相当量の少ない粗塩を使った長期熟成の醤油は、深みがある味と香りでまろやかな塩味のため、醤油の芳醇な風味や香りをつけながら、素材の味を引き立てます。味噌の場合も同様に、醸造期間や使用する塩(食塩相当量)が、出来上がりの味を大きく左右します。酢(米酢)は酢カドや香りの余韻の悪さで苦手とする方も多いですが、静置発酵のものは、香りがまろやかで酢カドがなく、全く別物といえるくらい違います。酢の物のようなシンプルな料理に使うと、その違いが非常によくわかります。料理酒やみりんも、廉価品は糖類や酸味料、うま味調味料などで増量をしているものが多くありますが、本物の料理酒は、精米歩合が高め(米の磨き控えめ)のアミノ酸や有機酸が多めの濃醇な純米酒であり、一般飲用としては、くせが強めといわれる日本酒になります。このような日本酒であれば、一般飲用の酒でも本物の純米料理酒として使用することができます。塩は、前に述べた塩を含む発酵調味料の風味を決定づけるものの一つであり、NaCl以外の無機質が多いものほどまろやかな味になります。塩そのものの味だけではなく、自然の海水に含まれるNaCl以外の多様な無機質(イオン)が、発酵に関わる微生物の働きに何らかの好ましい作用を及ぼしている可能性も考えられます。廉価な塩は、食塩の再結晶に要する時間を短縮するイオン膜を用いる電解濃縮製法のため、食塩相当量が95%以上と非常に高く、それゆえに塩カドが立った単調な味です。そのような塩を調味に使うと、塩カドが気になる味のため、素材の持ち味を台無しにしてしまい、食欲も減退させてしまいます。
調味料をひとつ本物に変えるだけでも、劇的に味が変わるのです。化学屋の著者も認めるこの違いを、ぜひ実際に確かめていただきたいと思います。
マクドナルドなどのジャンクフード
マクドナルドなどのジャンクフードは、独特の強い風味で味覚を鈍化させる巧妙な味覚偽装が、全世界の市民層から問題視されています。とくにマクドナルドは、原価を極限まで抑えるために、レンダリング(食肉にならない部位等の畜産加工)産物を巧みに使っているのではないかという疑惑もあります。このようなものを、味覚の多様性を経験させるうえで重要な幼児期や児童期に食べさせると、風味の奥行きがある野菜などに対して拒否反応を示すままの状態となり、学校給食の食べ残しが増えたり、世界観(現実体験)の狭小化に起因する心身のさまざまな問題を引き起こす原因となりますので、絶対に食べさせてはならないのです。そのことは、銀鮒の里学校がマクドナルドに強く反対する理由の一つです。
こどもの偏食は自然現象、改善は周囲の大人の意識次第
こどもにピーマンや人参などの野菜の偏食が多いのは、人間が元来持つ「未経験のものを毒物と疑い避ける」という本能によるものと考えられており、それ自体は異常なことではありません。しかし、くせのある野菜などの味を「毒物ではなく安心安全なもの」であると認識させるのは、周囲の大人の意識次第なのです。こどもの偏食問題の解決のための現実的な方法としては、偏食傾向が顕著な幼児期には香りや苦味などのくせがほとんどない淡白な味の野菜を多く食べさせることから始め、徐々に風味が強いものを、気づかれないように少しずつ取り入れていくという方法があります。そして、こどもにあまり偏食がなく、野菜のくせのある味が大好きで、積極的に求めるような場合は、その希求に最大限に応えてあげることが大切です。多様で個性的な野菜の味の現実世界で食欲を満たしてあげることで、ジャンクフードなどへの誘惑が入り込む隙を与えないという対策にもなります。
ほんもの食材の素食は継続できる
風味豊かなほんものの食材であれば、副菜の数が少なくても食欲が満たされるため、一汁一菜の素食でも続くのです。言いかえれば、素食が続かず失敗するのは、野菜や調味料などの食材の風味が薄かったり単調であったりするために食欲が満たされないからだといえます。ヴィーガンや精進料理のような素食の習慣を続けているうちに、肉などの動物性食材を食べる余裕がないと感じるようになります。人の食欲には限りがあり、その食欲が良質な植物性食材で十分に満たされているからなのです。そして、「飽食」という言葉のほんとうの意味を悟るようになります。必要以上に多い食べものに取り囲まれ、必要以上に多くの種類の食べものを摂取しなければならないという強迫観念を持つようになり、食べもの一つひとつの潜在能力を過小視するために、食べもののありがたみが薄れて粗末にするようになる、これこそが「飽食」なのだというように。地球規模でみれば、世界人口は100億にも達するとされ、現状のままでは、飢餓の問題はさらに深刻の度合いを増すと試算されています。食料自給が脆弱な日本では、このまま飽食問題に無頓着な状況が続けば、多国籍アグリビジネス勢力による食の支配によって、現代型の飢饉に陥るのではないかというシナリオもあるほどです。今後は経済的合理性偏重の飽食から脱却し、食べものの一つひとつの潜在能力を最大限に見出すことで、食への充足感を高めるということこそが、これからの日本が向かうべき食育のあり方ではないでしょうか。
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