あきらめない社会を
銀鮒の里は、誰一人としてあきらめない社会の実現に向けて、できることから着実に実行しています。
とくに日本の社会は、長きにわたり、均質で、周りに巻かれることを是とする風潮があり、この世界的にみても歪な傾向は、今日にも至っています。
日本において、少数属性者(xMs;マイノリティーズ)が生きづらさを感じるのは、そのためなのです。
「凡人に笑われてもいい。むしろ、それが歓迎される、鮒の池のように小さくてもいいから、そんな居場所をつくりたい。」銀鮒の里では、そのことを実現するためのさまざまな取り組みを行っています。
銀鮒の里なら、あきらめずにがんばれる。がんばって得られた成果は、きちんと評価される。そんな、本来のあたりまえを実感できるような、まずは「鮒の池」(小さな社会;マイクロソサエティ)を作ることを目指しているのです。
差別や偏見のない、個々の能力が適正に評価される社会を
化学を専門とする発起人は、化学という学問分野そのものに対する誤解や偏見、さらに、そのことから、能力を適正に活かせない社会の現状にもがき苦しんできた経緯があります。そのような分野は、化学に限ったことではないと思います。実は、日本は、世界全体でみても保守的で、新しいことが受け入れられ難い社会なのです。このことは、日本がIT後進国であることなどからもわかることです。その一方で、とくにこの半世紀の間は、商業ゲームやアニメといった低俗なサブカルチャーは世界的にも中心地として注目されるという、なんとも言い難い歪な発展を遂げてきたこともわかります。このように歪な社会に成り下がったのは、この半世紀の日本社会が、経済至上主義に基づく選り好みに過ぎたことが原因であり、その過程で、化学や手間のかかるイメージがあるものが軽視される一方で、商業依存的なものごとに関心が過度に集中してきたことの結果なのです。
例えば、能勢・ぎんぶなのうえんは、農産物や実生育成の花という具体的な成果物で、努力を「見える化」する教育農園を運営しています。能勢・ぎんぶなのうえんで活動をしたこどもが、将来は、夢と希望のある農業を志すとともに、その農業から、人生や社会のあるべき方向性を主体的に見いだせる人間になってほしいという思いを込めており、そのような人が集う社会は、小さくても活気があるものになると確信しています。
銀鮒の里での生涯を通じた学びを通じて、世の中のさまざまな努力を理解できるようになり、互いに尊重しあうことで、差別や偏見をなくし、個々の能力が適正に評価される、そんな社会づくりを、たとえ小さくとも、着実にかたちにすることを目指しています。
いかがでしょうか。銀鮒の里が目指している、小さくても、誰もが居心地のよい市民社会づくりを目指していることがおわかりいただけたのではないでしょうか。このような銀鮒の里の取り組みに共感された方は、今すぐ、銀鮒の里アカウントを取得して、まずは、FMGの記事へのコメント参加から始めてみてください。銀鮒の里アカウントは、無料で誰でも5分程度で取得でき、無料で利用し続けられます。
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