【奈良安倍元首相銃撃テロ】警備の不備認める動きが急加速、きょうは「あの日」

あらゆるリスクシナリオの多元的想定を

奈良県警に続き、岸田首相も警備の不備を認めざるをえない状況になっている奈良安倍首相銃撃殺傷テロ事件。14日には、演説台の近くを横切る台車の動きに気を取られたり、全体を見渡す警備を行っている過程で、山上容疑者の不審な行動に気づかなかった可能性があったという警察の警備担当者の話もあったという。映像を見るかぎりではあるが、山上容疑者は、鉄パイプを抱えただけの、いわゆるヲタク風の風貌だったといえる。ここに、「拳銃やライフル銃、猟銃、クロスボウ(ボウガン)、銃刀法の規制対象となるような刃渡りの長い刃物といった、よく認知された凶器しか認知できない」という固定観念が邪魔していれば、山上容疑者は、「ただ単に、鉄パイプを抱えただけのヲタクの一人」として、見逃すことになるだろう。しかし、要人警護(SP)に精通しているある人のコメントによると、「(不審者の)目つきをみただけで、不審な行動に気づける」のだという。警察には、警察権の濫用は人権侵害になるおそれがあり、慎まなければならないということが、警察内部では徹底されており、それはそれで重要なことだ。しかし、そのことが、今回の事件では行き過ぎてしまい、容疑者に気づけなかった一因になった可能性もあった可能性がある。

殺傷ゲームなど低俗文化に潜むリスク

1988年から89年にかけて、埼玉県で起こった宮崎勤幼児殺傷事件(死刑執行済)のような、世間を震撼させる殺傷を伴う凶悪事件があったときには、容疑者にはよく、ロリコンや商業ゲームなどといった低俗文化への没入癖が疑われ、問題の一因として浮上することがよくある。犯罪心理学的にいえば、これら低俗文化の仮想的没入の状態を、魔が差したときに、現実世界で一気に再現したいという、歪曲した衝動的欲望が関係している可能性がある。このような低俗文化に没入するような人の世界観はきわめて狭い。言い換えれば、現実世界の世界観を拡大するような教育機会を提供されたり、自己啓発で得てきた人には、悪い人はいないともいえ、犯罪予防や治安向上には重要な教育的視点だ。

ppbレベルも、それがリスク論の世界

事象発現率が数億(人)分の一(人)というppbレベルの世界、そのような限りなくゼロだといえるようなことも、リスク論では重大なこととして問題視されることもある。例えば、新型コロナウイルスの感染リスクは、最大で数%(オミクロン株BA.5)とみられており、さらに、新型コロナウイルス感染が原因で死亡する確率は、約1,000人に一人0.1%(1000ppm)以下のレベルとみられている。したがって、現時点での新型コロナウイルス陰性者が、新型コロナウイルス感染が死因で死亡するリスクは、単純計算ではあるが、0.01×0.001=0.00001=10ppm以下、すなわち、10万人に一人あるかないかというレベルになる。それで社会では十分に脅威として認識されているわけだ。意外と知られていないが、マダニ感染症のSFTSの致死リスクはさらに高く、マダニに刺される率や、その後SFTSに感染・発症する率は不明であるものの、SFTSに感染・発症後に死亡する確率は、30%程度といわれている。

発がん性でクローズアップされることの多い農薬や食品添加物でも、実際にそれらが原因でがんを生じ、そのがんで死亡するリスクは、ゼロに近いくらいのレベルなのだ。このような化学物質の場合、発がんの問題に至るケースはきわめて稀で、むしろ、腸内細菌の劣化などといった、凡人が気づかないようなリスクが高い場合が高かったりする場合が多いのだ。いずれにしても、このような化学物質のトータルリスクとしては、見逃すべきではないほどに高いものがあるのだ。

では、殺傷ゲームやロリコンといった低俗文化が犯罪を惹起するリスクはどうだろうか。このような低俗文化への没入癖がある人が決まって言う口癖がある。それは、

自分だけは関係ない」だ。

たしかに、殺傷ゲームをプレイする人そのものは非常に多く、ロリコンを求める人も相当数いるとみられるが、それらが直接犯罪行為に結びつくような人はきわめて少ないといえるだろう。しかしながら、殺傷テロは、確率論上はたとえppb(10億人に一人)のレベルであったとしても、社会的には重大な脅威である。地球の人口は、2000年頃の時点で約70億人であるが、2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件に直接的に関わったのは、アルカイーダのたった数人だけだ。たった数人だけで、アメリカだけではなく、地球全体を恐怖に陥れたのだ。限りなくゼロに近いppbレベルのリスクだが、決してゼロではないテロのリスクとは、そういうものなのだ。

さて、商業ゲームの問題に話を戻すが、少なくとも、商業ゲームには殺傷行為に及ぶことはきわめて稀だとしても、商業依存に陥れ、世界観を狭めることによることによるリスクの総和は大きくなると見込まれる。仮想世界で殺傷行為を繰り返すその特性から考えて、その没入者の中から、テロのような犯罪行為の動機づけになり、実際に犯罪行為に及ぶ可能性も否定できない。仮想世界にでっち上げられた戦争は、戦争肯定の平和ボケ思考につながるかもしれない。テロは卑劣の極みであり、なんとしてもゼロにしなければならない。仮想空間だとはいえども、殺傷ゲームから脳内に注ぎ込まれる残虐なシーンのシャワーは、市民感覚には相容れない。だからこそ、殺傷ゲームを禁止する市民運動が重要な意味を持つわけである。このような、ハザード(犯罪)の原因の、そのまた原因といった深層にアプローチして、ハザード(犯罪)を未然に防止するような市民運動の手法を、プロアクティブ・ディフェンス(PAD)という。

7月15日はファミコンの日、だからこそ、今、言いたいことがある

奇しくもきょう7月15日はファミコンの日。任天堂(京都市)が1983年(昭和58年)に、家庭用商業ゲーム機「ファミリーコンピュータ」を発売した日であり、事実上の商業ゲーム問題が始まった日であるともいえる。

11日、阪急沿線のローソンを運営するアズナスが、殺傷ゲームの販売を自粛することを報じたが、以後の調査で、カプコンの「モンスターハンターライズ:サンブレイク」(CEROレーティングC(15禁))のPOSAカードの販売は取りやめていたものの、ニンテンドー・スイッチの殺傷ゲームとみられる「ゼノブレイド3」(CEROレーティングC(15禁))のPOSAカードを販売している実態を確認し、対応漏れがあったことを確認した。そこで、ふなあん市民運動メディアは、アズナスに対し、すべての殺傷ゲームPOSAカードの販売を直ちにやめるよう、再度要請した。こどもたちの未来や社会の安心を守る市民運動の取り組みは続く。

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