COP26化石賞受賞で世界に晒された、市民運動ができない国ニッポンの醜態

国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP)の名物といえば、国際環境NGOによる政府批判を含む地球温暖化防止アクションだ。その目玉のひとつが、国際環境NGOで構成される気候行動ネットワーク(CAN)が、地球温暖化防止の取り組みに後ろ向きな国に贈呈する不名誉な賞である「化石賞」だ。そんな化石賞に、今回、イギリスのグラスゴーで開催されているCOP26で日本が2位で入賞した。しかも、昨年に続く「2連覇」達成だ。(ちなみに、今回の1位はノルウェー、3位はオーストラリアだったが、ノルウェーもオーストラリアも、持続可能性の取り組み全体でみれば、日本よりも先進的といえるから、地球温暖化防止対策を含む持続可能性全体での取り組みの遅れでは、日本が実質的な首位であるという見方もできよう。)

「脱石炭火力」の世界の潮流に乗れなかった日本

今回のCOP26では、石炭火力発電などでの石炭の消費からの脱却が議論の焦点となっている。英仏をはじめとする先進国の大多数と発展途上国を含む23ヶ国は、期限付きでの石炭火力発電所の新設やそのための投資の停止で合意している。その期限は、先進国では2030年、発展途上国では2040年だ。この声明には、隣国の韓国も加わっている。議長国のイギリスは、COP26の開催前から、より厳しい、同期限での石炭火力発電の全廃を求めてきたが、合意条件は「新設・新規投資停止」と後退はしたものの、一定の成果が得られたかたちだ。

一方で、日本、アメリカ、オーストラリア、中国、インドは、前記の脱石炭宣言には加わらなかった。中国やインドは、経済発展が急速に進む発展途上国として、安価な石炭への依存から脱却することは困難であるとみられている。日本以外の4国は、石炭の産出国上位の国にも名を連ねているが、日本はわざわざタンカーで輸入してまで石炭を消費する国。電力などのエネルギー業界への忖度が問題視されたことも、「化石賞」受賞に大きく関係したのではないだろうか。

オフセットありきの首相演説

岸田首相はCOP26で「他のアジア諸国とともに、従来の化石燃料と同じように、(消費時に二酸化炭素を出さない新エネルギーとして)水素とアンモニアを利用することで、ゼロ・エミッション化を推進する」と述べた。このことが、CANには「オフセット(相殺)論ありきの後退的姿勢」ととられ、化石賞の授与を決定づけたようだ。オフセットといえば、カーボン・オフセットという考え方が日本では既に浸透している。それにはいくつかの考え方があるが、例えば、化石燃料の消費で発生した二酸化炭素の回収に見合う分の苗木を植樹したり、再生可能エネルギー由来の電力の使用で相殺したり、あるいは、事前にその回収に見合う相当額を支払い、設定した排出量まで排出できる排出権として買い取るという考え方があり、企業などのCSRの取り組みとして、実際に行われている。いわば、「免罪符」である。しかし、オフセットは、すぐに変えることができない過渡期における経過措置的な考え方であって、いつまでもすがるものではない。いまや国際社会は、オフセットではなく、「ダメなものはダメだ」という全廃でけじめをつけることを求めており、今回のCOP26でも、議長国のイギリスが率いるかたちで、多くの国を動かしてきたことにも現れている。内燃機関自動車にしても石炭火力発電にしても、欧州の先進国など、市民運動ができる国は全廃を求めており、他国の妥協論にはもはやしびれを切らしているというのが本音だ。そんな中で、日本の岸田首相の演説は、市民運動ができない国の時代遅れの本音を見透かされたかたちとなり、「存在感を示すことができた」などと開き直ることしかできなかったわけだ。

今から半世紀くらい前までの時点では、節約の知恵を重んじる日本は、世界有数の持続可能性先進国であり、経済・産業面でも先進国に名乗りを挙げ始める勢いだったが、今はそのような栄光は見る影すらない。銀鮒の里学校が、昭和中期頃の教育を取り戻そうと強く訴える理由も、今回のCOP26での日本の立ち位置を考えれば、痛いくらいよくわかっていただけるものと確信する。

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