【速報と熟考】秋葉原無差別殺傷事件の加藤死刑囚の死刑が執行

法務省は、本日、14年前の2008年に東京・秋葉原で無差別殺傷事件を起こした加藤智大死刑囚の死刑を、東京拘置所で執行しました。死刑執行は、岸田政権下では2例目となります。

商業ゲームのシーンさながらの凶悪事件

秋葉原無差別殺傷事件は、歩行者天国の道路にトラックが突っこみ、歩行者天国の歩行者を次々と轢き殺したり、ナイフで次々と斬りつけたりという、よほどの商業ゲーム中毒者でないかぎり思いつき得ないような通り魔事件であり、世間を恐怖で震い上がらせました。この事件で、歩行者天国を歩く罪のない歩行者7人が死亡、10人が負傷しました。やはりその予想は的中し、加藤死刑囚の知人の話によると、加藤死刑囚の出身は青森県で、趣味にはアニメやゲームが含まれていたといいます。幼少時代は自然豊かなはずの青森で過ごしていたとみられますが、自然あそびなどの機会には恵まれず、そのときに、全国的にくまなく行き渡った商業ゲームや商業的なアニメにはまり、サブカルのメッカのひとつである、東京・秋葉原に憧れの念を抱いていたとみられます。加藤死刑囚の秋葉原に対する憧れの念は、ネットの掲示板をきっかけに強烈な恨みに変質したのでした。市民感覚を備えた常識人には到底理解し得ない、低俗な関心を持つ層特有のテロリズム心理がそこにはあったのでした。

死刑廃止は国際世論

一方で、世界最大の人権団体であるアムネスティは、死刑制度は地球上のすべての国で廃止すべきだという死刑廃止論に基づく人権行動を推進しています。欧州などの国際社会も、アムネスティの考え方には同調し、死刑廃止が国際世論となっており、死刑制度がある国であっても、死刑の執行は慎重にあるべきだという考え方が一般的になりつつあります。たしかに、「テロリストは罪のない人を何人も殺しているのに、なぜ生きることを許されるのか、死刑は社会の公平性を維持するうえで当然の必要悪だ」という考え方も多くあり、オウム事件の麻原こと松本死刑囚の死刑執行のときも、「死刑やむなし」と強く同調したという人は多いでしょう。テロリズムは断じて許されないというのはいうまでもないことです。しかし、死刑というのは、国権でもって、強引に人を殺めるという、それはそれで残忍な極刑です。死刑制度の問題に関して、あなたはどのようにお考えでしょうか。ぜひ、ログインのうえ、コメントであなたのご意見をお寄せください。

生命の尊厳を大切にするからこそ

商業ゲームや商業アニメなどといった商業的な低俗趣味への没入の機会がなく、自発的に知性を育むような地方ならではの環境があれば、このような残忍な事件は起こりようがなく、誰一人として不幸な人を生まない社会になったかと思うと、教育者として、とても歯がゆい思いがしてなりません。加藤死刑囚もきっと、「智大」という名とは名ばかりの、人としての器が非常に小さく、それを大きくする機会に巡り会えなかった、とても不幸な人生だったかと察するところです。この世に商業ゲームや商業アニメのような商業的依存対象があり続けるかぎり、誰一人として、この問題に関係がない人はいないのです。考え方によっては、明日は我が身かもしれません。不幸の根底には低俗ありということ、あなたはどのようにお考えでしょうか。今、あなたがすべきことは何だとお考えでしょうか。こちらの論点につきましても、ぜひ、ログインのうえ、コメントであなたのご意見をお寄せください。

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