【訃報】ファミコン開発責任者が死去、事実上のゲーム時代終焉

商業ゲーム大手の任天堂(京都市)の開発責任者として知られる上村雅之氏が、6日に死去していたことを、立命館大学ゲーム研究センター(京都市)が12月9日に発表した。78歳だった。

立命館大学ゲーム研究センター : Ritsumeikan Center for Game Studies (RCGS)

半世紀で商業ゲーム時代の事実上終焉へ

もともとはトランプや花札のようなカードゲームメーカーだった任天堂。1983年代に家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」(通称ファミコン、以下、ファミコン)という家庭用商業ゲーム機とその対応ソフト(カセット)を発売することで、「家庭用商業ゲーム」という新業態をつくり、任天堂自体の業態転換を果たしたのは、上村氏の業績だといって過言ではないほどだ。上村氏は、半世紀前の1971年1月に任天堂に入社、第一世代ファミコンである「ファミリーコンピュータ」、第二世代ファミコンである「ファミリーコンピュータ ディスクシステム」、第三世代ファミコンである「スーパーファミコン」の開発に関わってきたという。任天堂と同じ京都の大学である立命館大学にゲーム研究センターを設立、2016年には文化庁メディア芸術祭で功労賞を受賞、2020年には、京都市芸術振興賞を受賞した。他のメディアでは華々しい印象ばかりが強調されがちな商業ゲームであるが、ファミコンの出現で、こどもたちを昭和のころの手づくりあそびから切り離し、ひきこもりやゲーム依存を社会問題化させるなど、教育においては未だかつてないほど大きな負の遺産をのこすことになった。数年間ほど、一時的にeスポーツで騒がれ、ゲーム熱再燃と思われることもあったが、香川県でネット・ゲーム依存症対策条例が施行されたり、ニンテンドースイッチやプレイステーション5などの超品薄状態を招き、諦めムードをもたらすという逆風もあり、現在は下火になりつつある。「商業ゲーム時代」は、上村氏の任天堂入社から起算して半世紀で、事実上の終焉を迎えることとなったといえる。

ファミコンの開発責任者、上村雅之氏が逝去 78歳

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