8月6日は広島に原爆が投下された日、平和への祈りと誓いを

77年前の1945年8月6日、広島市の中心部に、米軍によって、ウラン核爆弾(原爆)が投下されました。広島市街地は一瞬にして焼け野原となり、きのこ雲からは、放射性物質を含む煤が降り注ぎ続け、多くの死者を出しました。終戦後も、広島市民は長きの間、原爆による放射線被曝による疾病に苦しめられました。

一方で、ウクライナでは、ロシアによる空爆を伴う戦争が今日でも起こっており、中東のパレスチナでもイスラエルによる同様の戦争が繰り返されています。隣国の台湾でも、中国のアメリカに対する反発から、中国軍が台湾島周辺での軍事演習でアメリカを威嚇するなど、台湾海峡やその周辺では、軍事的な緊張が走っています。

これは決して、昔の終わった話でも、遠い国で起きた話でもないのです。実は、非常に身近な暮らしのすぐそこでも、戦争の問題とは常に隣り合わせです。日本では、戦争をモチーフにした、暴力シーンや殺傷シーンが連続する戦闘ゲームに小学生が興じていても、誰も問題視せず、誰も声を上げないというような、異常な平和ボケの実態があります。思い出してください。節目あるごとに、そのような戦闘ゲームが隠れた原因とみられる無差別テロや凶悪事件がクローズアップされることもありました。これまでに経験したことのないような食料品やエネルギーの大幅値上げも起こり、ことに、それらの多くを海外からの輸入に依存する日本では、食糧・エネルギー危機が現実味を帯びつつあり、これも、戦争の影響であることを忘れてはなりません。核の平和利用といわれる原子力発電の問題についても、11年前の東京電力福島第一原発の事故もあり、昨今のエネルギー危機の予兆もあり、日本は八方塞がりのピンチに陥ろうとしており、いま一度、一人ひとりが主体的な熟考を確認すべきときがきています。

内閣府が2050年に向けてのムーンショット計画を発表しているように、いま、私たちは、Society5.0で仮想現実世界が現実世界と交錯するような世界におかれ始めようとしています。これは、人類がいまだかつて経験したことのないことです。そのような状況にあって、商業ゲーム内などの仮想現実世界のこととはいえ、戦闘行為に目をつぶるということが何を意味するか、いま、一人ひとりが考えるときではないでしょうか。

77年前で3日後の9日には、長崎市内にプルトニウム核爆弾が投下されました。いま、身近なところから地球全体で起きている、平和に関してのさまざまな矛盾に関して、いま、一人ひとりが何をすべきかを考え、そのうえで、恒久平和への祈りと誓いを捧げるときがきています。心安らかに、それでいながら、芯が強い行動を貫くことを、いま、まさに、各主体において確認していただきたいと思います。

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