地方創生の真の力、パーマカルチャー

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パーマカルチャーとは?

「パーマカルチャー」、里山での実践的活動に深く関わったことがある方であれば、一度は聞いたことがあるキーワードだと思いますが、念のために簡単に概念について説明しておきたいと思います。

パーマカルチャー(Permaculture)とは、語源としては、「永続的な」という意味のPermanentと、「農業」を意味するAgricultureとを合わせた合成語であり、永続(持続)可能な農業ということになります。実際のパーマカルチャーは、その原義を内包するかたちで、それから派生して、今日の都会ではあたりまえに得られるような商業的なサービスが著しく限られるような里山でも、生きる力を活かし、自然の循環に身を寄せるという学際的な社会デザイン概念(interacademic social designing concept)となります。学際的というのは、それ自体が学際領域といえる自然科学系領域の農学(化学・生物学など)が基幹となり、社会科学的・人文科学的なアプローチも折衷することで、立体的で、かつ、実際的な解決法(ソリューション)を生み出す知的手法だということになります。よく、「パーマカルチャーは宗教だ」とかいうことがいわれることがありますが、これは、素人的解釈に起因する誤解であって、今日では、地方創生の実際に関わる学問の一領域としても認知されています。詳しくは後述しますが、ほんもののパーマカルチャーの実践にあたっては、それなりの心の準備が必要となります。

パーマカルチャーの実例

パーマカルチャーは、自給自足の実際的技術と解釈されることがあるように、一見して不便であるとか面倒だと思えてしまうようなことをポジティブに捉える、商業的依存対象が制限された里山で生き抜く技術ともいえます。その象徴的な実例としては、以下のようなことがあります。

  • 原種や固定種(伝統品種)を作付けし、種を代々継いでいく農業
  • 植物の成分による他感作用(アレロパシー)や自然の天敵動物を誘引するなど、自然サービスそのものを防除や採種のための受粉(ポリネーション)に活かす農業
  • 水や電気を使わないトイレ(コンポストトイレなど)
  • できるだけ機械に頼らず、あえて手作業でやってみる農作業スタイル(⇔アグリテック)
ぎんぶなのうえんには、ミツバチやアブなどのポリネーター(受粉者=益虫)が自然に多く誘引され、羽音を聞くことができます。花は蜜を授け、ポリネーターはその恩返しとして花粉をつけ、種をつくってくれます。わたしたち人間も見倣いたいですね。

お気づきのこととは思いますが、これらは、銀鮒の里学校をはじめとするふなあんSEPCが実際の里山で取り組んでいたり、取り組もうとしていることになります。パーマカルチャーの技術が体得できれば、里山の一見して厳しくもみえる環境をも味方につけることができ、楽しむことができ、その結果、人生が豊かになるのです。その体得は、できることならば、できるだけ早いほうがよいわけで、すなわち、現代のこども、具体的には、小学生や中学生にこそ体験させたいのです。このように、銀鮒の里学校は、パーマカルチャーの学校であるともいえるわけです。

パーマカルチャーの推進に必要な心がけ(マインドセット)

正真正銘のパーマカルチャーは万人ができるというわけではありません。世の多くの人(凡人)からみれば、無意味な感情的固定観念が邪魔してぶっ飛んで映ることも多く含まれ、それなりの覚悟や心がけ(マインドセット)が必要となります。いいかえるなら、パーマカルチャーを志す人は、市民運動界の選ばれし人、すなわち、成長し続ける自由人間エリートを目指す人だといえるわけです。

1.何でも自分で頭と身体を動かしてやってみる主体性(研究者精神)を鍛える

パーマカルチャーは、無から有を生み出す、理屈と動作とが連動しての実践ですから、常に考えながら行動する姿勢が必要となります。そのためには、心身のコンディションを最良に保ち、いつでも主体的に行動できるだけの気力や体力を維持する努力が欠かせません。そして、小さいことでもよいので、誰がやらないようなことであっても、ネガティブな言い訳をするための先入観は捨て、新しい世界を切り拓くために何でも自分でやっていこうという研究者精神を持ち続けることが大切です。

2.レジリエンスの根拠となるだけの知性を磨く

前述の概念の説明のとおり、パーマカルチャーとは、農学(化学・生物学など)を基盤として、社会科学や人文科学などの学際的アプローチを行う学際的な社会デザイン概念ですから、分野を超えた幅広い見識と、それらを有機的に連携させて新たな知(気づき)を創造する柔軟な思考力や創造力が求められます。インターネットや書籍などでの座学とフィールドでの実践とを反復することで、常に新しい知が創造されていきます。そして、そのような創造を積み重ねて重層化された知は、あなたのレジリエンスを高め、パーマカルチャーの揺るぎない自信を築き上げていくのです。

3.決めつけない(イノベーションを妨げる先入観を捨てる)

パーマカルチャーだけではなく、イノベーティブな取り組み一般についていえることですが、決めつけることは、思考停止のはじまりです。イノベーティブな取り組みでは、常に突飛に聞こえたり、意外に聞こえることばかりです。しかし、実際に活動していたり、活動団体のウェブサイトを読んだり、インターネット検索で関連事項を調べてみたりすると、なるほどと納得することばかりで、食わず嫌いの決めつけがいかに愚かであるか痛感させられるはずです。(このようなことは、例外なく記者自身もこれまでに体験してきたことです。)無意味な感情的決めつけはあなたのためにも、他の活動家のためにもなりませんので、まずは受け止めてください。

4.あえて笑われるようなことをする

その道の先駆者は、必ずといってよいほど、凡人から笑われてきています。それで折れて諦めてしまう人もいれば、貫き通して、世の中の常識をポジティブに塗り替えて感動させる人もいます。いいかえれば、前者のような人は、パーマカルチャーをはじめとしたイノベーティブな取り組みには向かず、後者のように、あえて笑われるようなことをしなければ、この凝り固まった世の中は変わらないということです。あなたがポジティブに世の中を変えたいと思うなら、まずは、あなた自身があえて笑われる覚悟で取り組むことです。もし、あなたに知性に裏打ちされた自信があれば、逆に、あなたを笑う人を笑い飛ばせるはずです。

5.嫌われることを恐れない覚悟を持つ(必要以上に好かれようとしない)

リーダー・コーチングでよくいわれることですが、市民運動リーダーや企業経営者のような世の中を動かす人は、嫌われる覚悟が据わっているべきです。人の価値観は多種多様ですから、あなたの価値観に共感する人もいれば、どうしても拒絶反応を示すような人もいるのは当然のことです。そうである以上、誰からも好かれるような八方美人的発想は無意味どころか、むしろ有害で信用を落としてしまう発想だといわれるわけです。

具体例を示しましょう。水を使わないトイレといえば、「こんな汚いことできるわけがない」と、頭ごなしに否定してくる人が少なからずいます。しかし、それに動じずにできるのはなぜでしょうか。なぜならば、前述のように、レジリエンスの根拠となるだけの知性に裏打ちされているうえで、(水を使わないトイレを)頭ごなしに否定することが無意味な思い込みに基づくことであることや、人によって感じ方が大きく違うことをよく知っているからなのです。水を使わないトイレは、あれば使いたい人もいますし、どうしても受け入れられなければ、無理に使う必要はないのです。しかし、それを頭ごなしに否定する人に忖度したために、水を使うトイレが実現できなかったとしたら、あれば使いたいと思う人をがっかりさせてしまうことになるわけです。あれば使うか使わないかを選べますが、なければ、使わないという選択肢しか選べないわけです。結論からいえば、水を使わないトイレがパーマカルチャーの取り組みの定番になっていることからもわかるように、理論的にも実践的にも実現できることが、微生物学的知見や数多くの実践事例から立証されています。先述のように、感情的な思い込みが、イノベーションのチャンスを逃してしまうことを念頭に置いたうえで、正しいことには揺るぎない自信を持ち、それでも頭ごなしに否定するような人は、あなたにパーマカルチャーで里山を豊かでおもしろいものにしたいという揺るぎない信念があるのなら、こちらの方から話はなかったことにするというくらいの覚悟をもって臨むべきです。あなたが揺るぎないものを持っているのなら、あなたが嫌われようが何されようが、あなたは活動をともにする人を選ぶことができるわけです。前述のことがしっかり踏まえられているのならば、揺るぎない自信をもって臨みましょう。

なぜパーマカルチャーが地方創生の真の力となるのか

里山が過疎の問題を抱えるほんとうの原因、それは、都会や商業的依存対象がもたらす価値観に流されてしまい、一見して不便な里山に対してネガティブな感情を持つことにあります。パーマカルチャーとは、それとは対義的な意味合いをもつことです。ですから、都会での一見して便利な暮らしの価値観に凝り固まっている人にとっては、里山は一時的な観光地としかみることができず、ほんとうのパーマカルチャーには非常に高い精神的ハードルを感じるわけで、そのような生半可な人は、自然発生的にフィルタリングされてしまうわけです。現実問題として、里山には、里山での活動の上辺しか見ず、甘くみているような観光客気分の人が都会から多く押し寄せており、そのような人が、「マクドのゴミをポイ捨て」したり、「自然に癒やされたいだけの身勝手なマナー違反のキャンプ」をしたり、「里山からもらうだけもらって何も恩返しをしない」ような搾取(テイカー)思考で地方創生では足を引っ張っているという問題があります。人が多く来てくれることはありがたいことですが、足を引っ張るような人には来てほしくはないわけです。パーマカルチャーには、程よい参入障壁によって、このような招かれざる客をフィルタリングし、逆に、その参入障壁を歓迎するような、一定以上の実践力や行動力があるような人を自然とおびき寄せる仕組みを提供するポテンシャルがあるのです。そのような人は、主体的に動き、無から有を創造する能力に長けており、たとえ少数であっても、集うことで、何倍もの相乗効果をもたらしてくれるわけです。それはまるで、自然と天敵が集まり、生態系の好循環が実現している畑そのもののようです。このような豊かな里山の象徴ともいえる、生態系の好循環がある畑を徐々に増やし、人もそれに伴って、里山の地方創生の力になれる人が集うような仕組みをつくる概念こそがパーマカルチャーだからです。

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