一昨日のNHKウェブサイトの記事に、大阪府能勢町立能勢小・中学校の取り組み事例が取り上げられて、またも考えさせられたものだ。
なぜ「こどものスマホ議論」なのか。高校を卒業するまで(改正民法における成人年齢18歳まで)スマホを持たせない「スマホ18禁」を提唱する銀鮒の里学校の発起人としては、首をかしげずにはいられない。言ってしまえば、スマホありきだから、話がややこしくなるわけであって、「未成年者に必要な機能はない、だから、持たせない」で済む話のはずである。
事の発端は、大阪府教育庁が、「災害時の連絡のために学校でのスマホ所持を認める」という、なんとも奇妙奇天烈な通知を府内市町村の教育委員会に出したことにある。能勢中学校の中学生が自主的に定めた「スマホの誓い五ヵ条」を高く評価するNHKの論調と校長のコメント。中学生の自主性に関しては高く評価できるものであり、周囲の風潮がこのようでは、立場の弱い未成年では、致し方のないことなのかもしれない。問題は、そのような周囲の風潮をもたらした大人の態度である。校長まで「もう『スマホを持つな』という時代ではなく『どう使うか、どう付き合っていくか』を、教員や保護者と一緒に子どもたちに伝えていく。」と言っているくらいだ。おそらく公立中学校の校長という立場上、上位監督庁の大阪府教育庁の方針に従わなければならないのだろう。それだけに、大阪府教育庁の愚かな通知は許しがたいものがある。
こどもにスマホを持たせたら、必ずといってよいほどオンラインゲームやLINEをやるのがオチである。こどものトラブルの原因となっていることをわかっていて、なぜこどもにスマホを与えるのか。こどもに情報機器との向き合い方をしっかり教えるのだと、大阪府教育庁は豪語しているが、そんなに甘いものではない。NHKの記事にもあるように、こどもは大人が想像する以上に賢いもので、親の目を盗んでは、課金制のゲームをやって、知らないうちに高額課金されたり、ネトゲで知り合った不審者に誘拐されそうになったりするものだ。できもしない教育論を掲げるのではなく、こどもの現実を知り、こどもとはそういうものだと割り切る態度も必要ではなかろうか。何度もいうが、こどもにスマホを持たせないかぎり、高額課金やネトゲ誘拐などといった特有のトラブルは起こり得ないのだ。災害時の連絡にしても、学校が構築した保護者連絡網に学校側が固定電話か教職員のスマホで連絡すれば済むことであるから、災害時の連絡のためにスマホ所持許可という言い訳は通るはずがない。
こどもに情報機器を与えることは大切なことであるが、その情報機器とは、LinuxパソコンやRaspberry Piのようなシングルボードコンピュータ、Arduinoのようなマイコンボードのことである。使いこなせば、科学への知的好奇心が拡がり、なにより楽しいし、LinuxはWindowsパソコン対応の商業ゲームには非対応のため、低俗なゲームなどの誘惑を確実に断つことができる。加えて、検索してネトゲをされることを避けるために、商業的娯楽そのものに関心を持たせない教育的配慮も重要である。「こどものスマホ議論なんて、所詮、Linuxすらさわったことも聞いたこともない世間知らずがするものだ」と嘲笑して正解である。
【参考】大阪府教育庁「小中学校における携帯電話の取扱いに関するガイドライン及び『SNSの危険性について知ろう!』」
http://www.pref.osaka.lg.jp/shochugakko/keitai/index.html
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