「こどもにマクドナルドの何が悪い!」ってガチで反論する親はアホ親です!実家で嫁姑喧嘩しましょう!

児童教育

こういう嫁姑喧嘩をしているという話をよく聞きます。

喧嘩の仲裁のために、結論からいいます。このイラストのようなシチュエーションの場合、100%、嫁が悪いです!この場合、嫁は思考停止状態で自分軸がない最低のアホ親と断言できます。

お盆休みの今、実家に帰省しているというご家族も多いことと思います。ほぼ確実に姑から叱られる嫁は、夫の実家に帰ることが苦痛極まりなく、来年こそはボイコットしたい!という声もあります。でも、ちょっと待ってください!嫁は姑に叱られることの意味を理解しているでしょうか。単なる嫌がらせなら、姑のほうに非があるかもしれませんが、孫(こども)のことを気遣っての箴言であれば、嫁の愚かさゆえの指摘なのだと謙虚に受け止めるべきです。

「こどもはマクドナルド好きが普通」は真実か?

ウソです。では、なぜ世間では、「こどもはマクドナルドが好きであたりまえ」だというウソがまかり通っているのでしょうか。それには、いくつかの理由があります。

マクドナルドにいるゴキブリとヒト、集る原理はほぼ同じ

理由の一つは、マクドナルドの反則技ともいえるほどの巧みなマーケティング戦略にこどもが無意識のうちに誘引されているから。これは、こどもの真意に反しています。こどもの真意では、マクドナルドではなく、親や祖父母の手料理を求めているのです。このこどもの真意は、高度な智性を備える動物としてのヒト科ホモ・サピエンスに、不自然に誘惑的なものは、自身にとって害悪であるというフィルターがけをすべきということが生まれつきプログラムされており、それを本能的に避けようとする防御本能と連動した基礎的理性が働くというヒト本来の行動特性によっており、ホウ酸団子の毒餌の誘惑にまんまと引っかかる単純本能しか備えていないゴキブリなどの動物にはない基礎的超市民感覚ともいえます。現代人とはいえども、ヒトがゴキブリと同じだなんて、何が何でも否定したいですよね。そういうことなのです。児童教育において、その真実(正解)を追求しようとする場合、この基礎的超市民感覚をいかにして引き出すかという考え方が鍵となります。下のアメリカでの「マクドナルド・ハッピーミールの真実を暴く」啓発キャンペーン動画では、左のロナルド・マクドナルドが愚かな低俗社会の欺瞞的誘惑の象徴、右の女の子が、その低俗な誘惑を断固拒否する基礎的超市民感覚の持ち主であり、このことを批判的に物語っています。

実は、右の女の子は、こどもたちの総意を代表しているのだということに、思考停止アホ化した日本人はいい加減に気づくべきだ。

自分を偽り親に忖度!こどもの純粋さをぶっ壊す「詐欺英才教育」

もう一つの理由は、こどもが親の前でよい子を演じるべく、親に気に入られようと、真意を隠してまで親を気遣うから。このことは、親のエリート進学エゴを満たすべく、ほんとうは思いっきり遊びたいのに、その時間を犠牲にしてまで予備校に通うことの問題でよく知られています。「マクドナルドを食べたい」というのも、そのため。最近の親は、「手のこんだ手料理を食べたい」というと怪訝な顔をし、こどもも喜ぶからと、商業アニメやゲームのキャラクターがついた超加工食品ばかりを与えつづけているうちに、こどもがそのような親のことを気遣うあまり、真意を偽ってでも、親に気に入られようとして、「マクドナルドを食べたい」と仕方なく口走ると思われるケースが増えているのです。親も、お金を払って買うだけで済みますから、楽というわけです。そんな親、誰が慕うというのでしょう。

そのほかにも、こどもの友達もみんなやっていて、友達に合わせるために自分を押し殺しているというようなことや、怠惰マウント合戦しかしないようなママ友も同じような傾向があり、「マクドナルドが食べたい」ということで、丸く収まるからという、悪い意味で現代日本人らしい理由もあったりします。このまま誰もノーと言わなければ、冗談抜きで日本は終わりです。

イラストのように、姑が嫁を怒るのは、このまま進む将来に憂いがあり、生きている間に正さなければいけないという切迫した危機感があるからなのです。それに異を唱えるようではいけません。もし、姑の怒りが理解できないというのであれば、お盆の趣旨に矛盾するかもしれませんが、思いっきり姑と喧嘩をすべきです。そして、嫁は己の無知や経験不足、怠惰を恥じ猛省し、お仏壇の前で、姑との痴話喧嘩で悟った現状の愚かな己を悔い改めることをご先祖様に誓うべきです。

「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損!」徳島では、今まさに、あの踊りで盛り上がっていますね。でも、似ているようですが、踊る阿呆やそれを見る阿呆のように、社会的に許容される良性の阿呆と、決して笑えない絶対に許されない悪性のアホとは全く異なるものです。言うまでもないですが、ダイエタリー・ネグレクトは、その後者のほうです。良性の阿呆はすばらしい伝統文化として、後世に継承していくべきですが、悪性のアホは社会の癌です。悪性のアホは知性レベルを高める社会的な市民運動でなくしていきましょう。

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