「高校化学の理解なくして、石けん運動の推進はありえない」これは、ふなあんの活動をはじめるずっと前から訴え続けてきたことです。
高校化学の理解とはいっても、高校化学の教科書の内容を全て理解しなければならない、というわけではありません。まだ化学を学んだことのない人も含めて、高校化学の内容で、これだけは最低限学んでいただきたいことがあります。
- 石けんを利用するときに関係しうる元素についての理解(まずは原子番号1から20までの元素だけでOK)
- 化学平衡(ル・シャトリエの原理)
- 酸と塩基(pHの概念)
- 石けんとその関連物質の化学(油脂化学)
これだけの内容を一通り理解するには、ある程度の個人差はありますが、全くの初学者であったとしても、数時間程度もあればできます。これだけでも、するとしないとでは、全く違います。このたった数時間を化学の学習運動からはじまる石けん運動に活かすか、「化学なんか、難しそうなことを考えたくない」と避けて通るかで、石けん運動の明暗ははっきりと別れます。この30年を振り返り、石けん運動はほとんど進展を実感できません。それどころか、最近では、粉石けん製造からの撤退を表明するメーカーが数社現れるなど、液体合成洗剤の台頭で諦めているのでは」ととれるような、気がかりな動きさえあります。
高校時代、理系から逃げるように文系を選択したような人にとっては、いきなり高校化学と聞くと、それだけで引いてしまうという人がいることもわかっています。だから、高校化学の教科書を全部理解しなければいけないとはいいません。人が向学心を持つ最大の動機づけ、それは、現実に直面している問題(課題)を自力で解決しなければならない状況に追い込まれたときです。ほかの例でいえば、お金関係のこと、料理や掃除・片付けなど家事のこと、自身や家族の健康のこと、近隣などとの人間関係のことなどがあるでしょう。このようなことを進んで学びたいという人は、そう多くはないというのが実際のところですが、それでも、必要性に迫られて、学ぶ機会を持っているのではないかと思います。いずれにせよ、豊かな生活を保障するためには、学ぶことから避けることはできないわけですから、最初に精神的負担があるような状況は避けなければならないことは、痛いほどよくわかります。しかし、当初は避けようとしていたことが、一定のことを学んで実践することを繰り返していくうちに、「もっとよくできれば」という積極心が芽生えて、凝ってみたくなるというものです。この、高校化学(の一部)から始める石けん運動も、そのようなことが石けん運動で自然発生的に起きるきっかけにすることを、まずは目指しているのです。ですから、いきなり高校化学を完全マスターしろとは言いません。ひと通り、石けん運動に最低限必要な高校化学の一部を習得した人のなかには、「化学ってすばらしい。もっと詳しく学べれば」という意欲が芽生える人が少なからず現れると思います。そういう人が、石けん運動のリーダーになり、新しいうねりを起こし続ける火種になっていく…そんな好循環をもたらすきっかけづくりが、混迷の現状が否めない石けん運動を活性化するためには欠かせないと考えます。
最近、「石けん運動から逃げているのでは」と思わずにはいられない、生協などでも気がかりな動きがあります。それは、石けん運動の中心を、炭酸塩入りの粉石けんに据えるのではなく、液体石けんに据える動きです。高校化学の化学平衡ですぐに理解できることですが、液体石けんには、配合できるアルカリ剤の量に技術的な限界があるため、新しい液体石けんが粉石けんの代用というわけにはいかないのです。粉石けんには、30〜40%程度の十分な量の炭酸塩がアルカリ剤として配合されていることによって、加水分解損失が最小限に抑えられるため、少ない石けん使用量で高い洗浄力を発揮でき、すすぎも、石けん分の加水分解や硬度成分との化学反応による不溶性残留物の生成を最小限に抑えつつ、素早く効率的にできるのです。このことに気づくだけでも、粉石けんを正しく効果的に活用する方法を一人でも多くの石けん運動家に再認識していただくことがいかに重要であるかがおわかりいただけるはずです。
もし、「化学を学ぶことが自身とは無関係だ」とか、「化学は専門家だけのための学問だ」という固定観念があるのであれば、その固定観念は直ちに改めていただきたいと思います。そのような固定観念が、石けんを日常生活におけるインフラ物質としてに活用するうえで必要不可欠であるはずの高校化学の学び直しすらしない言い訳になっているからです。そのような思い込みを放置し続けるかぎり、解決できる問題も解決できないままでありつづけるでしょう。化学の学び直しこそ、石けん運動の原点だという認識をもってください。
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