小学生レベルの化学哲学で見抜ける
なぜ反応をするのか、反応とはなにか、あなたはどのように説明しますか。
そのような化学の理の根源的なことを考える学問が、化学哲学です。
反応ということを普遍的に説明するなら、それは、その場に居合わせた当事物の間で作用を起こし合うことで、少なくとも一方が、あるいは、互いに、何らかの有意な変化を起こすことです。それは、化学もさることながら、化学以外でも普遍化できます。
例えば、ニ者間の衝突を考えます。同じ方向に、同じ速度で走っている車であれば、衝突する確率は問題にならないくらいに低いでしょうし、道路が十分に広かったり、走っている車の数が少なければ、さらにその確率は低くなるでしょう。しかし、互いに逆方向に走っている車であれば、衝突する確率は問題になりますし、さらに、道路が狭かったり、走っている車の数が多い場合や、速度が大きい場合は、何らかの衝突という現象を起こす確率は高くなるでしょう。相手が車ではなく、山の岩肌だとすれば、車の方だけが変形という変化を起こし、岩の方はびくともしないかもしれません。さらに、車や岩が変化するかどうかは、車の走る速度次第かもしれません。これは、衝突によって、一方だけが変化するということの哲学的考え方です。これらのような、車を例とした、ニ者間の接触確率についてですが、化学における反応にかかわる物質(分子、イオン、原子など)でも同じことです。元はといえば、小学生でも理解できる哲学の考え方です。
前述の車の衝突の例でいえば、化学では、道路の幅に対する車の数(密度)が濃度、車の速度が温度、車の走る方向は極性に相当します。極性がない分子の場合は、不規則な方向性でランダムに運動していますので、濃度や温度次第で衝突する機会が多くなりますし、イオンや極性分子のような、極性がある物質粒子の場合は、異種電荷間で電気的に引き合ったり、逆に同種電荷間で電気的に反発し合ったり、電極間に一定方向の電圧がかかったりすることで、物質粒子の運動の方向性が影響を受けることもあるでしょう。いずれの場合も、衝突なくして反応なしです。言い換えれば、濃度が低い(薄い)場合や、温度が低い場合は、衝突の可能性が低く、反応性もそれなりに低くなりますし、逆に、濃度が高い(濃い)場合や、温度が高い場合は、衝突の可能性が高く、反応性もそれなりに高くなります。
空間除菌の場合は、二酸化塩素や次亜塩素酸のような、除菌作用を及ぼそうとする薬剤分子と、除菌作用を及ぼされる側の細菌やウイルスの粒子との間との衝突によって、はじめて効果がもたらされるわけですが、メーカー側に都合のよい実験結果が、薬剤分子と細菌・ウイルス粒子との衝突が起こりやすいような、非現実的な条件をでっち上げているのに対して、実際の住空間では、薬剤分子が十分に希釈されて希薄な状態となるため、薬剤分子と細菌・ウイルス粒子との衝突そのものが無視できるくらいのレベルになるわけです。だから、空間除菌は実際使用上は効果なしと断言できるわけです。(前の車の例でいうなら、車の衝突の可能性が無視できるような、延々と続く広大な理想的草原を走る車のようなイメージになります。)これが、空間除菌を科学的に根拠がないニセ科学として門前払いにする、本質的な理由となります。
結局は、化学における反応性とは、本質的には、互いの接触にかかる確率論的なことだといえるわけです。ですから、化学と聞くだけで難しいとかいって避けること自体が思考停止の現れだということになります。根源的なことに立ち返ることなく、空間除菌を盲信するような行為も同様といえます。
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