日本マクドナルドをはじめとする外資系外食チェーンの日本本部は決まってこのような主張をします。
「本家とは全くの別会社であって、(資本的にも)全く関係がない」と。
果たして、ほんとうにそうでしょうか。もし、大きく違うとすれば、具体的に何が決定的に違うのでしょうか。検証していきたいと思います。
勝手に「マクドナルド」を名乗ることはできない
誰でも、赤地に黄色がシンボルカラーのマクドナルドといえば、アメリカの本家と関係があると思って当然であるはずです。それもそのはずで、それは、マクドナルドであることを強く宣言し、強く印象づける商標という独占的権利だからです。グローバル展開していることから、当然、各国で商標権が認められているはずですから、商売するにあたり、商標権者(ライセンサー)である米国マクドナルド社が、それらの使用を正式に許諾しないかぎり、マクドナルドであることを主張することは認められないはずです。(但し、正式なマクドナルドではないパロディであることが客観的にみて明らかにわかる場合は、その限りではありません。)日本マクドナルドは、1971年に、藤田田がアメリカのマクドナルドの同意を得て、日本でのマクドナルドとしての営業が正式に認められたものであり、日本国内における商標権上の権利、営業権(ライセンス)が認められているのです。しかもキャッチフレーズまでもが ”I’m lovin’ it” (和訳:私のお気に入り)で日米共通です。したがって、日本マクドナルドは、米国本家のマクドナルドから正式に商標権を得たものであることだけでもってしても、米国本家のマクドナルドとは密接な関係があるということになり、米国本家とは関係がないというのは、逃げの言い訳だということになります。
基本メニューは世界共通、レンダリング業者らしいマンネリさ
海外旅行経験者のなかには、「現地の味に馴染めない人は、マクドナルドに行くと無難だ」という人がいます。なぜなら、マクドナルドの基本メニューは世界共通であり、それらの味も、米国本家のものとほぼ同じだからです。マクドナルドは、ハンバーガーやマックフライポテトのような世界共通の定番のメニューとあわせて、その国特有のアレンジメニュー(例えば日本の場合は、てりやきマックバーガーなど)をラインナップしてメニューの嵩上げを図っていますが、そのアレンジというのも、ソースをてりやきソースに変えたり、目玉焼きを挿入するだけのような差し替え程度のものがほとんどであって、本質的にはマンネリ化しています。本家本元の米国を含めた世界中において、マクドナルドは純粋なレストランではなく、畜産物レンダリング業者のレストラン派生型の業態ですから、一枚肉を一切扱わないミンチ肉や成形肉専門のメニューになるわけで、そのように考えれば、至極当然のことだということがお分かりいただけると思います。
持続可能性の取り組みでは雲泥の差が
米国本家のマクドナルドと日本マクドナルドとの決定的な違いは、持続可能性(サステナビリティ)の取り組みに現れています。近年、米国本家のマクドナルドは、かつてのジャンキーなイメージを払拭し、持続可能性の取り組みで社会に協調して生き残りを図ろうとして、次のような取り組みを行うことを決定しています。
- 植物性素材だけを使ったベジタリアン(ヴィーガン)対応メニューの充実
- マクドナルドで使用するすべての鶏卵をケージフリー化
- マクドナルドのメニューで使用している食品添加物情報の全面開示
常識的に考えるかぎり、日本のマクドナルドはアメリカのマクドナルドをそのまま持ってきたようなものだから、当然日本でも同時に推進されるだろう、だから、日本のマクドナルドも良い方向に向かうのだろうと思って当然でしょう。しかし、その常識は見事に裏切られます。日本マクドナルドでは、上記3点については、一切実践されていませんし、実践し始める兆しも現在のところはありません。では、日米間でなぜ、同じマクドナルドであるにもかかわらず、これほどまでに違いがあるのでしょうか。それには、両国間の市民社会情勢の違いが大きく関係しているとみられます。
アメリカの社会は、市民の自主自立意識が非常に高く、とくに近年では、これまでの大量消費・大量廃棄の価値観から脱却し、EUに追随すべく、持続可能性に関する意識が急速に高まってきています。この市民社会の動きに異を唱える企業があれば、その企業は、訴訟を起こされ、敗訴するなどすれば、巨額の賠償金負債を抱え淘汰されることになるわけで、どの企業も尻に火がついた、非常に緊張感がある状態を自然発生的にもたらしているのです。アメリカの社会は、州が一つの国とほぼ同等の権限を持っており、「州条例」とは呼ばず、「州法」と呼びます。連邦法が甘いものであっても、州で独自の厳しい法律を制定することができ、その法律に基づいた、州民に近い自治が可能になっているのです。
一方、日本では、市民社会が非常に脆弱であり、国の規制も緩いうえ、市民の味方をするはずの地方行政の権限も弱いため、アメリカのような独自の規制を行えずにいるのです。そのため、マクドナルドなどの外資系企業にとってはやりたい放題になっているのです。持続可能性に関する市民の声を聞くための法的根拠も脆弱であるため、隠蔽がまかり通ってしまい、ガバナンスの自浄作用が働かないというわけなのです。
私たちがすべきこと
アメリカのマクドナルドのような動きがあれば、購買を解禁してもよいのではないかという考え方も出ることでしょう。しかし、日本マクドナルドでは当面の間、そのような兆しはなく、開き直りの姿勢を貫いているという現状がありますので、従来の不買の姿勢は当面の間続けるべきだといえます。海外のマクドナルドの動きは、その国の市民社会におけるサステナビリティの取り組みを、その最低妥協ラインのかたちで反映しているともいえますので、その動向に注視していくことは、それなりの意味があることだといえます。また、アメリカの州自治にヒントを得た道州制による地方自治の権限強化も、市民社会の体質強化につながるかもしれません。
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